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[オピニオン]映画産業と入試制度

Posted February. 13, 2005 22:44,   

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ネットに出回っているナンセンスクイズの中で、教授と乞食、おばさんとヤクザのように、あまり関係なさそうな人の間の共通点探しがある。正解を見れば、ユーモア溢れてそれなりの哲学が感じられるものも多い。どうせ世の中の物事の区分は恣意的な分類体系によるものだから、発想を換えた新たな分類体系では教授と乞食、おばさんとヤクザが同じカテゴリーに属することもあり得る。

◆政府は1960年代初め、大学別の本考査制度を一種の国家試験制度に切り替えることで大学入試に介入し始めた。その後、40年余りの間、あれこれ制度を手入れしていくうちに、試せるだけのことは全部試したはずだ。しかし、依然として大学入試制度は小中学校の教育を荒廃化し、大学の質を低下させる原因の一つとして非難を受けている。今や、教育人的資源部は入試から手を引き、大学側に完全に任せるべきだ、とする要求が強まっている。

◆米国が自国の通商法スーパー301条を振りかざして韓国映画市場を開放させたのは1980年代半ばだった。ウルグァイラウンドが本格化する10年前だから、堅い規制で保護されていた韓国の産業の中では、初の開放事例ではないかと思う。5・16軍事クーデター以降の約20年間で、映画法は合わせて7回、施行令は20回も改正された。映画産業を興すために、施行できる制度は全部施行してみたのだろう。それでも、韓国映画は荒廃の道を歩んで行った。そのような状況で政府の保護もなく、開放された市場に裸で投げ出されたのだから、韓国映画は今度こそ死に絶えてしまうだろうと皆が絶望した。ところが、1990年代初め、民間から新しいエンジンが動き始めた。「シンシネ」の『結婚物語』が韓国映画の生まれ変わりを宣言した。

◆映画産業と大学入試制度の共通点は何なのか。政府による干渉を切れば蘇ることができる。一度完全に死んでしまえば、健康な体で復活できる。画一した理念を捨てれば、多様多彩な花が咲く。すなわち、放っておけば今までよりうまくいけそうだということだ。忍耐心さえ発揮できれば。

朴明珍(パク・ミョンジン)客員論説委員(ソウル大教授・言論情報学)mjinpark@snu.ac.kr