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[オピニオン]判事の成績表

Posted February. 03, 2005 22:36,   

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5人の判事がいる。勤務成績を調べてみたら、Aを受けた判事が1人で、残りは皆BとC、D、Eを受けたと言う。訴訟人としてはできればAを受けた判事が事件を受け持って欲しいのだが、運がなかったのか最下位のEを受けた判事に事件が任せられた。「でも皆同じ判事だから大丈夫だろう…」と慰めてはみるものの、心の片隅はさっぱりしない。「どうせならAを受けた判事に裁判が任せられれば良かったのに…」という考えが消えない。

◆今後、裁判所を訪れる人々はこのようなことで悩まなければならないかも知れない。判事たちの成績表が初めて公開されたからだ。もちろん、成績が外部に公開されるわけではないので、当事者が言わない限り、一般人が担当判事の成績を知る術はない。評価点数が判事としての能力と必ずしも直結するものではないため、危惧かも知れない。にもかかわらず、このような想像は、判事の成績表が裁判所にもたらす変化の風が尋常でないことを端的にみせてくれる。

◆判事成績表は、司法試験成績と研修院修了成績が悪ければ、いくら有能な裁判官でも昇進から落ち、一生閑職を転々しなければならなかった序列制の不合理を改善するため取り入れられた裁判官勤務評価制によるものだ。序列制の弊害がどんなにひどかったかは、「判事たちは登山に行く時、登る順も序列順」という自嘲までこぼれるほどだ。勤務評価制がまともに運営されれば、裁判所の人事も能力中心になるはずだから、仕事の出来る判事たちにはより多くの機会が与えられるはずだ。

◆一部では不満の声も聞こえる。評価点数をよくするため、上司の機嫌を伺うようになれば、外部の請託と圧力に簡単に屈服せざるを得なくなり、判事の独立性を大いに害するはずだという理由からだ。「判事を点数の奴隷にするに違いない」「処世術の上手な判事だけが有利になる」と言う指摘もある。裁判所だけが変化の無風地帯に残っていてもいけないが、「判事は法律と良心によって裁判する」と言う原則もまた、どんな場合にも揺れないで欲しい。

李載昊(イ・ジェホ)論説委員 leejaeho@donga.com