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[オピニオン]祝福される死

Posted February. 02, 2005 22:38,   

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普段尊敬する方からの電話があった。「嬉しい用事ができて連絡をすることになった」と言うのだ。「どういう事なのか」と聞いたら全く予想もできなかった答えが帰ってきた。「92歳になった父親が楽に世を去った」と言うのだった。瞬間二の句が告げなかったが、その方の話が本気というのがすぐ分かった。6人兄弟を残して眠るように楽に世を去ったから、どんなに祝福された方か。喪主は新聞に訃報記事を出すことも敢えて遠慮する。

◆ある総合病院に設けられた殯所に行ってみたら6人兄弟が弔問客を迎えていた。息子一人でお客さんを迎えるか、婿が喪主の代わりをするところに比べてどれほど心強く見えたか。嫁、孫息子、孫娘たちも故人の死を淡々と嬉しく受け入れていた。お客さんたちも努めて悲痛の姿を見せなくても良かった。誰もが「本当に恵まれた方だ」という挨拶を交わすだけだった。お墓もあらかじめ用意しておいたと言う。

◆親の最後を看取る子は運命的であると言う。長く親の面倒を見た親孝行の息子・娘だと言っても、しばらく席を外したうちに親が亡くなり、家出をした親不孝の子がしばらく家に立ち寄ってから親の最後を看取ることになる場合もあると言う。息子がゴルフ大会に出るのに支障をきたすと心配で試合が終わった後で最後の知らせを伝えた老母もいる。世を去る直前、目を大きく開いて自分が愛する人を捜す年寄りの姿はまさに驚異だ。人が死ぬ時は自分の暮してきた過去が目の前にパノラマのように繰り広げられるという話もある。

◆毎日毎朝、町内の後方の山中腹の湧き水の出る所でお目にかかる町内の長老たちは「良い季節を選んで、子供たちに迷惑をかけず眠るように平和に世を去ることができるように」と言うのが、生の最後の願いだと言う。普段睦まじかった家が親の痴ほうや疾患で親子の間にお互いに傷だけを抱かせたまま別れる場合をたくさん見てきたというのだ。よく暮らすことに劣らず、よく死ぬことが重要だということを今更ながら悟る。

呉明哲(オ・ミョンチョル)論説委員 oscar@donga.com