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551段の最後の三道峰頂上、銀色の世界と一つに

551段の最後の三道峰頂上、銀色の世界と一つに

Posted January. 27, 2005 22:46,   

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午前2時30分。夜空の星明かりは谷の下の三井里(サムジョンリ、慶尚南道咸陽郡馬川面)の集落の明りほど燦燗だった。今登っている所はビョクソ嶺。開花(ファゲ、慶尚南道河東郡)と馬川(マチョン)のふろしき包み商人が歩いて往来した塩の道だ。内陸の咸陽(ハムヤン)に川岸の塩を渡した生命の道だ。その峠道で智異山(チリサン)に登ってなんと8時間、16.8kmの智異山登山を始める。その最後は老姑壇(ノゴダン)の下のソンサム峠だ。

2時間後に山裾の待避所(1426m)へ。登山客たちがぐっすり寝ている頃、星と月は見当たらず、強風と吹雪だけが吹きつける。真暗な炊事室、ヘッドランタンの明りに頼って氷を壊し沸かしたラーメンが一丁。今のこの幸せだけを憶えたら、この先の世間のことにはあまり不満はないだろう。

雲に覆われた東側の空が赤く染まり始める。漆黒のような闇が日の出で消えていく姿とともに稜線伝いが始まった。兄弟(ヒョンジェ)峰を登る道。濃い煙霞の厳しい寒風の中でも白い樹霜が咲く。樹霜とは真冬に木の枝に咲く霜柱。やつれている木の枝が真白な霜姿に着替える密かな光景を、私は近くで見ることのできる至福を享受した。

河水が厳しい寒さの中でも凍らずにちょろちょろ流れるヨンハチョン山荘。「生きて千年、死んで千年」という朱木が稜線を避けて育つ朱木の棲息地だ。木の前に設置した鉄條網に傷ついている。そのすべてが人間のせいだ。

雲はいつのまにか消え空が青く、もとの色を見せる。今登った所は広い平地のトキ峰の頂上だ。下に現われた海抜1500m前後の智異山景が秀麗だ。智異山の2番手である般若峰(パンヤボン)も、遠くのセソクピョンジョンと天王峰(チョンワンボン)、帝釈峰(チェソクボン)までも一面白い。

峠とは山の稜線の一番低い部分。歩いて物売りに出かける人は峠を尋ね、それでこちらに道ができる。道は人を呼び人は歴史を刻む。三道峰(サムドボン、1550m)へ行く道に通るヘリ場のある広い空き地。花開嶺(ファゲジェ、1315m)だ。右側はペムサ谷、左側は七仏寺(チルブルサ)谷。智異山稜線の中では一番低い所だ。ペムサ谷に「カンジャンソ」という池がある。河東潟にのせられた南海の塩袋を担いでこの峠を越えるサンネ(全北南原市)のふろしき包み商人が、つい滑り落ちて溺れたせいで塩水に変わったという話もある。塩の道の一面を見せてくれる名前だ。

三道峰を登る551の階段。頂上に立ったら南海まで見える。目前に般若峰、少し遠くに小説『土地』の舞台である河東(ハドン)の岳陽(アクヤン)原野と蟾津江(ソムジンガン)、老姑壇頂上(1507m)とその下の老姑壇峠(1400m)及び南原(ナムウォン)の地があまねく見える。名前通り、三道(慶尚南道と全羅南・北道)が会う所だが、岩に置いた三角形の道しるべが方向を知らせる。

三道峰に登ると老姑壇が指尺だ。ここからは智異山の登山道で一番楽に歩ける道がつながる。しかし本当の老姑壇は生態保護のために塞がっている。それで道は稜線を避けて借り物の老姑壇に直行する。自動車が行き交う白頭(ペクドゥ)山脈の峠道であるソンサム嶺は借り物の老姑壇から2.7kmだ。

長い道程だったが少しも疲れを感じないのは奇妙なことだ。これには、白頭山(ペクドゥサン)の精気が私を奮い立たせたという説明しかできなさそうだ。



趙誠夏 summer@donga.com