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津波難民村、家族的な韓国診療キャンプが人気

津波難民村、家族的な韓国診療キャンプが人気

Posted January. 06, 2005 23:02,   

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インドネシア・バンダアチェ西南部のマタイ地域難民村。昨年12月26日に襲った巨大津波で、生活の基盤を失った被災者2000人余りが集まっているインドネシア最大の難民村だ。

6日午前、難民村に立ち入ると、悲しみが漂っているだろうという予想とは違い、市場を彷彿させるようなあわただしさが感じられた。

インドネシア緊急救助チームキャンプのドゥリさん(38)は「全世界から送られた医療品と食糧のお陰で、今は雰囲気がかなり良くなった」と話した。

米国、シンガポール、オーストラリアなど6、7ヵ国の医療チームがキャンプを張ったインドネシア国営放送TVRIの前庭は、負傷者で満ち溢れていた。そこには韓国救護団体「飢餓対策」の医療キャンプもあった。

シンガポール医療チームの関係者は「韓国医療陣は親切で家族的な雰囲気があふれて、他の所で治療を受けていた人たちも韓国キャンプに集中している」と褒め称えた。

向かいの建物に設けられた「行方不明者確認センター」には、行方不明者の家族が手書きした張り紙が、ぎっしり貼られていた。行方不明になった娘の幼時の写真や結婚記念写真などが「ディカリ(Dicari・人を捜します)」という文句の下に、各々の状況説明とともに貼ってあった。日常の活気と津波の傷跡が共存する雰囲気は、バンダアチェ市内も例外ではない。軍隊の統制の中で治安は回復しており、小規模の市場やパザールはお客で賑わっている。しかし、これは表向きだけだと、地元の人たちは指摘した。

バンダアチェ市の関係者は「津波後、政府がこの地域を外部に開放して、各国から多くの団体が群がってきた」とし「その中にはジャバ島から渡ってきたイスラムの過激団体組織員たちもいるが、彼らは西側の救援団体を警戒している」と話した。

大部分の住民は救援団体の活動には心から感謝していたが、宗教的・人種的な違いについては気にしていなくても、警戒している雰囲気が伺えた。