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[社説]何のための「つぎはぎ式」の内閣改造なのか

[社説]何のための「つぎはぎ式」の内閣改造なのか

Posted January. 04, 2005 22:45,   

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盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が昨日、教育副首相をはじめ、6省庁に対する内閣改造に踏み切った。しかし、何のための内閣改造なのか定かでない。内閣改造が示す国政の新しい目標や青写真を見出し難いからである。

盧大統領は新年からは変わるという話を何度も口にした。新年の挨拶を通じては民生・経済と統合・共存を強調した。国民もこれまでの国政混乱を一新し、新しい出発を期待している。であれば、新年が明けて初めて行われた内閣改造から心機一転の国政刷新の意志が読み取られなければならない。例えば、経済にまい進すると言ったからには、その意志が内閣改造に反映されるのが筋である。

盧大統領は、「2年ぐらい働くと、アイデアも熱情も冷め、マンネリに陥りやすくなる。2年ぐらいを適正な長官の任期だと思っている」と述べた。しかし、果たしてこれが内閣改造の基準になってよいのかは疑問である。内閣改造は長官としての成績に対する厳正な評価であるべきであって、「長くやった」というのは理由になり得ない。さらに盧大統領は昨年末、内閣改造と関連し、「つぎはぎをするくらいでちょっとだけ行うつもり」と述べた。大統領自らが内閣改造を「つぎはぎ」と表現したことをどう受け止めればよいか分からない。

内閣改造はただ単に人を変えることではない。これまでの国政を振り返り反省する土台の上で、今後国が進むべき方向が盛り込まれなければならない。国民に対しては、これからはこう変わるというメッセージが伝えられるべきであることは言うまでもない。しかし、今度の内閣改造を見てみれば、中核省庁はほとんど外されていて、刷新の意味が感じられず、新しく入閣した人物も二人の女性の起用を除けば、これといった特徴がない。だからこそ、無色無臭の曖昧な内閣改造だという指摘が出ているのである。

しかも、あらゆる国政乱脈の責任から自由になれない大統領府が無風の地帯に残っているのも腑に落ちない。大統領府の参謀らはみんなうまくやったし、またそんなに長くやった人がいなくてそのままにしたのだろうか。