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[社説]希望を復元しよう

Posted December. 31, 2004 23:13,   

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乙酉年の新年が明けた。光復(クァンボク)60周年でもあり通常とは違って感慨に浸ることもできるが、心は重い。昨年一年間は「経験し得る葛藤を一度に全て経験した」という言葉が出るほど、反目と分裂が繰り返された。その傷と不協和音から立ち上がって、再び一つになれるのか心配だ。葛藤は、発展のための痛みであるというが、このように引き裂かれた状況で簡単に希望を語れるだろうか。

だからと言って立ちすくんでいてはいられない。紆余曲折はあったが、それでもここまで来た。戦後半世紀が経って産業化と民主化を同時に成し遂げた国は、韓国がほぼ唯一である。分断と戦争の悲劇の中でも貧困と独裁を排除した。その底力を再び活かさなければならない。飢えだけを避けようと奮い立ったわけではない。韓半島を飛び出して韓国も一度ぐらいはアジアと世界の主役になろうという念願のためだった。

自由民主主義と市場経済が韓国の理念的座標であることを再確認することが急がれる。保守であれ進歩であれ、これを明確にしなければならない。競争をしても、その土台の上でしなければならない。そうしてこそ理念論争が、消耗的なイデオロギー論争や敵対的な保革対決に変質しない。共有された理念の基盤が確固なら、アイデンティティ論議が割り込む隙はない。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権2年の分裂と乱脈ぶりは、その基盤が揺れたことにあった。

「1948年体制」も認めなければならない。分断は不幸なことだが、1948年の5・10選挙で樹立した大韓民国の伝統性を否定することはできない。分断も無論克服されなければならない。分断のままでは「未完の光復」であるしかない。しかし分断は、平和的、段階的に克服されるべきだというのが、国民的合意である。歴代の権威主義政権のおいても、「1948年体制」を改善しようとする努力が、多様な形の対北朝鮮和解協力政策を通じて、綿々と続いていることを忘れてはならない。

韓米同盟を外交の中心に置かなければならない。拙速な反米、自主の副作用をこの2年間で実感した。中国の覇権追求と日本の軍事大国化の動きの中で、韓米同盟を活用できる眼目と知恵が切実に求められる。北朝鮮の核問題解決も開城(ケソン)公団の活性化も、米国との協力なしには不可能なのが現実だ。6者協議の枠組みの中で北朝鮮の核問題を平和的に解決し、予想される北東アジアの勢力構造再編の過程で、韓半島の安全と和平を担保にする多国間安保体制にその枠組みを転換しなければならない。乙巳勒約100周年、庚戌国恥95周年である。再び列強の餌食になることはできない。

盧武鉉大統領は、このような理念的、外交・安保的基礎の上で国を、国民を一つに束ねなければならない。大統領はどちらか一方の大統領ではない。昨年の4・15総選で、与党に過半数の議席を確保させることで弾劾された大統領を救ったのも、特定の支持勢力ではない。多くの国民が救ったのである。それなのになぜ「皆の大統領」になることができないのか。もはや価値の中心、社会の中心に立たなければならない。

党政分離の原則によって「政治と距離を置く」という考えも、必ずしも正しいわけではない。第17代国会の初年が見せたように、与野党が極限の対峙に向かう時には、善意の仲裁者にならなければならない。政治が上手く回り、国民が政治を忘れて暮らせる窮極的な責任も、大統領にあるためだ。

任期が3年残っていると言うが、働く時間は多くはない。4月の再・補欠選は、来年6月の地方選挙につながり、地方選挙は07年の大統領選挙の前哨戦の様相を帯びるだろう。全国規模の選挙のない年は今年だけだ。欲を捨てなければならない。分裂だけを煽り、実益のない、過度に理念化した改革課題は果敢に捨て去らなければならない。指導者と政権勢力の道徳的自己満足のために多数の国民が「改革疲れ」に苦しまなければならないなら、不幸な事である。

盧武鉉政府が、遅ればせながら「経済・民生優先」を掲げてきたのは、幸いである。生活の問題を解決することができない政府ならば、存在する理由がない。しかし、経済はスローガンや情熱だけで活性化することはできない。経済を動かす原理として「自由市場経済」、環境として「グローバル化」の重要性を新たに認識しなければならない。

市場経済だと言って、政府がことごとく後ろ手を組んでいてはいけない。貧困層を救済して、社会的安全網を拡充する国家の役割は強化されなければならない。景気の振幅を緩和するための財政・金融政策も続かなければならない。しかし、政府の役割は市場の自律性と創意性を侵害しない線で、行なわれなければならない。ありもしない「市場の失敗」を掲げ、明白な私的財貨にまで公共財の服を着せて規制しようとしてはいけない。規制を解いて民間経済が活性化し、雇用が増えれば、政府が実施するよりも10倍以上の福祉が具現され得る。

グローバル経済では、大企業と中小企業、経営陣と労組、裕福な者と貧困者、首都圏と地方などの国内的な2分法が大きな意味を持たない。政治的・社会的感情に依存して企業と裕福な者を締めあげれば、海外に逃げ出すのが現実だ。下降平準化式の均衡発展論理に捉われて首都圏を圧迫すれば、ソウルは、上海やシンガポールとの競争で立ち後れるだろう。経済の二極化を発展的に乗り越えるには、経済でも敵味方に分ける思考を捨てなければならない。

最大野党であるハンナラ党も変わらなければならない。経済と民生から具体的な代案を出して、競争しなければならない。政権側の失策で反射利益を得たり、政略的に足を引っ張るという形をもはや見せてはならない。時代錯誤的なマッカーシズムに寄りかかってもいけない。ビジョンを提示することで、国民が信じて期待できる政党に生まれ変わらなければならない。

今年は「東亜(トンア)日報」創刊85周年の年でもある。常にそうであるように正論と直筆で権力を監視し、不正と不義を告発することを怠ってはならないだろう。理念、世代、階層、地域、政派による分裂と葛藤を緩和し、治癒することにリードしなければならない。本紙はすでに「ニューライト(New Right)運動」を通じて、極左極右間の自己破滅的な理念対決を止揚して、合理的保守の道に進もうと提唱した。新年にはまた一つになろう。共に希望を復元しよう。