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「試練を混ぜ合わせて希望を作った」脱北者たちの創業日記

「試練を混ぜ合わせて希望を作った」脱北者たちの創業日記

Posted December. 30, 2004 23:12,   

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「これまでの苦労は、北朝鮮を脱出する当時の苦労に比べても、劣らないものでした。しかし、今年いよいよ可能性が開けたのだから、来年には夢をかなえるため全力投球しなければならないと思います」

いろいろあった2004年。深刻な内需低迷で庶民はため息ばかりの一年だったが、黙々と自身の仕事に最善を尽くし、04年を「希望の年」にした人々がいる。北朝鮮出身という蔑視(べっし)のなか、事業を展開するために政府からもらった定着金を全部失ったりもしたが、たゆまぬ努力のすえ、今年初めて黒字に転じた脱北者会社、(株)白頭(ぺクトゥ)食品の職員らがその主人公だ。

24日午前、京畿道金浦市通津邑(キョンギド・キンポシ・トンジンウプ)の小さな食品工場。冷たい風が吹いていたが、食品の箱を運ぶ従業員たちのえり首は汗で濡れていた。「早く急ぎなさい」という耳慣れない平壌(ピョンヤン)のなまりには、どことなく楽しんでいる様子が感じられた。

リフトを運転していたシン・ドンヒョク氏(39)は「会社を設立して初めて赤字をまぬがれたのだから、この程度のことは何でもない。1年中この調子なら、鼻歌を歌いたい気持ちだ」と話した。白頭食品は、シン氏をはじめチョン・ヨンイル(38)、李ソンナム(46)氏など、北朝鮮脱出者7人が集まって作った会社。

1995〜1997年に北朝鮮を脱出した彼らは、ある亡命者の集いで知り合った後「われわれも資本主義社会で一度成功してみよう」と意気投合し、2000年9月頃に会社を設立した。これといった専門技術もなかった彼らが思いついた事業のアイテムは、ハルニレの葉で作った食品。

北朝鮮で名節(韓国固有の盆・正月)などの時に、大事なお客さんが訪ねてくると接待する「ハルニレの葉」の粉で麺類やチジミなどの食品を作り、食堂や大型小売店に納品しはじめた。だが、高価な材料を使っていたため、他の製品より2、3倍も高く、最初からよく売れるわけがなかった。「北朝鮮脱出者が事業などできるか?」と皮肉る人が大半で、製品そのものに疑念を抱く人々も多かった。

創立当時から、彼らを見守ってきた社会奉仕団体「愛の電話」のオム・ヨンス代理(33)は「最初は銀行の使い方も知らなかった人々で、宣伝どころか、事業というものがどういうものかすら分かっていなかった」とし、「昨年までは、一度たりとも給料袋を堂々と家へ持ち帰った人がいなかった」と話した。試練は昨年ピークに達した。何とかして活路を開くために迎え入れた韓国出身の専務が、会社の資金を横領し、途方もない打撃を受けた。

そのうえ、一緒に事業を始めた北朝鮮脱出者の1人がこっそりと他の業者に運営権を渡そうとして、訴訟にまで至った。「幸い勝訴したものの、同志だと信じていた人と法廷で向かい合ったときの心情は本当に惨めなものでした。『皆で63ビルに登って飛び降りよう』と言って号泣したこともあります。その度にわれわれを耐えさせたのは、われわれは職位も何もない『一つの共同体』だという信頼感でした」。

午前7時に出勤し、午後10時に退勤。休みも返上して働きつづけた。小さなことでも一緒に話し合って決定する彼らの「共同体論」に、韓国出身の従業員も感服した。創社以来、一度も赤字をまぬがれなかった会社が、今年は売り上げ12億ウォン(約1億円)を記録し、やっと黒字となった。

ユン・ソンチョル広報取締役(39)は「厳しい歳月だったが『共に最善を尽くし、信義を守れば誰でも成功できる』という平凡な真理を実現したことが、一番嬉しい。05年には製品の研究開発のために続けて投資し『健康に良い食品を売って金をもうける会社』として位置づけられるようにしたい」と話した。



丁陽煥 ray@donga.com