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希望のタイヤは止まらない

Posted December. 30, 2004 23:13,   

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もう甲申年も1日しか残ってない。

このまま時間が止まってほしい。それだけ喜びに満ちた1年だった。

04年アテネ・パラリンピックで車いす陸上100m、200m金メダルと400m銀メダルを獲得したホン・ソンマンさん(29)。初出場したパラリンピックで韓国で初めて陸上種目のトップにあがり、200mでは世界新記録(26秒31)まで樹立した。

「本当に多くのことをもたらしてくれた1年で、新しい機会を見つけた人生のターニングポイントでした」

永遠に忘れられない1年を送ったホンさんの顔は明るかった。明るい微笑みからは何のかげりも見られなかった。「背広がよく似合います」と言うと、「02釜山(プサン)障害者アジア大会時の韓国選手団の団体服ですが、デザインが地味で普段着にぴったりです」と言いながら笑った。

このような余裕を持つまでの彼の人生は決して順調ではなかった。済州(チェジュ)で3兄弟の可愛い末っ子として生まれたが、3歳の時、小児麻痺にかかって歩けなくなった。そのような彼を、両親はおんぶして学校に通わせた。

中学校に入ってから、両親の反対を押し切って車いす陸上を始めた。「走りたかったのにそれが出来なくてあまりにもつらかったのです。スピードを感じられるなら、どんな冒険でもするつもりでした」

00年シドニー・パラリンピックの時に国家代表から脱落し、2年間、車いす陸上をしなかった。振り返ってみると最も苦しかった時期。スランプから脱することができる道は、やはり運動しかなかった。コーチもいないまま、退勤後、毎晩2時間近く運動場を150回以上も回った。ほぼ1000万ウォンもする競技用車いすの価格も負担だった。

そのような困難を克服して首にかけたアテネ五輪の金メダル。彼はあまりの嬉しさに金メダルをかんでみたこともあったという。

故郷に錦を飾ってからの3カ月間、ホンさんは目まぐるしいほど忙しかった。新聞インタビューや放送出演を申し込まれ、CMにも出演した。五輪金メダルで約80万ウォンの年金を受けることができ、経済的な困難もある程度軽減された。「障害者に対する関心がパラリンピックの期間だけ寄せられ、終われば関心もなくなると思ったのに、案外長続きしたのです。障害者に対する認識を新たにする契機になったようで、とても嬉しかったです」

ホンさんは来年の春、米国へ留学に行く計画だ。障害者対象の特殊体育を勉強するためだ。6年前から付き合っている日本人のガールフレンドとは将来を約束したい。08年北京パラリンピックの準備もしなければならない。

ホンさんは自分のインターネットホームページ(www.shadowface.com)の初期画面に、「私に生きていることを感じらせ、私に夢を持たせてくれた車いすレースを愛する」と書いた。

彼が回した車いすのタイヤは、偏見と苦難に満ちた世の中をくぐり抜けて行く希望のタイヤだ。



金鍾錫 kjs0123@donga.com