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古い心を下ろして…

Posted December. 30, 2004 23:13,   

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●求礼鼇山四聖庵:険しい石段の上にひっそりと

全羅南道(チョルラナムド)求礼郡(クレグン)文尺面(ムンチョクミョン)ジュクマ里の鼇山(オサン=513m)の頂上に位置した四聖庵(サンソナム)。そこに立つと、山裾を流れる蟾津江(ソムジンガン)と求礼邑の広い原野、遠く無等山(ムドゥンサン)につながる稜線と智異山(チリサン)の連峰が絵のように繰り広げられる。

百済の聖王(ソンワン)22年(544年)に、縁起(ヨンギ)祖師が建立したというこの庵の元の名前は鼇山庵。以後、義湘(ウィサン)大師をはじめ、元暁(ウォンヒョ)大師、道銑(トソン)国師、真覚(チンガク)禅師の4聖人が修道したことから四聖庵と呼ばれるようになった。

求礼邑鼇山の入口から1時間30分ほど歩いて登った。山頂の屏風のような岩の中に、優雅で淡白な庵がひっそりとある。庵が岩の間に入った風変わりな姿だ。6軒が並んでいるが、姿を完全に現しているのは一つもない。はにかむ田舎の娘のようだ。

四聖庵は他の寺と違って広い庭がない。その代わり、険しい石段が長く続いている。狭い石段の両側には腰の高さまで石垣が積まれている。その石垣の上には、人々が願いをこめて名前を書いた瓦がきちんと重ねられている。

屏風のように取り囲む岩壁には庵磨崖如来立像が彫刻されている。外からは薬師殿(ヤクサジョン)に隠れて右側だけがちょっと見えるが、薬師殿の中に入れば慈悲深い微笑みで迎えてくれる庵磨崖如来立像全体を見ることができる。

大雄殿の横には、筏を売りに河東(ハドン)に行った主人を待って世を去った妻と、妻を失った悲しみに堪えられず死んでしまった夫の切ない伝説が込められたトィム岩がある。日の暮れる頃、トィム岩に上がれば、蟾津江の向こうの山裾の後に、絵のような夕焼けの風景がひと目に入って来る。ここはあらかじめ連絡すれば山寺体験も可能だ。ひと晩泊まるのに1人当たり1万ウォン。四聖庵061−781−5463。

●海南頭輪山一枝庵:茶道を中興させた草衣禅師の香り

一枝庵(イルチアム)に行くためには、まず頭輪山(トゥリュンサン)の大興寺(テフンサ)を通らなければならない。

全羅南道海南郡三山面(ヘナムグン・サムサンミョン)クリム里にある大興寺は、新羅の真興王(チンフンワン)5年(544年)に創建されて以来、数多くの学者と詩画墨客が交流した場所として有名だ。境内に入れば、大雄宝殿、千仏殿、龍華堂、奉香閣、无量壽閣など多様な建物があるが、その懸板が書道展示会を彷彿させる。

頭輪山駐車場から大興寺に上がる道にある木のトンネルが終わる頃、目に付く伝統韓屋がある。大半の商店が駐車場の外に移転した後、ここに唯一残ったユソン旅館だ。美しく、映画「風の丘を越えて」や「将軍の息子」のロケ地としても利用された。

大興寺から始まる谷間のあちこちには庵が多い。このうち、韓国の茶道を中興させた草衣(チョウィ)禅師と秋史・金正喜(チュサ キム・ジョンヒ)が交流したという一枝庵が有名だ。

大雄殿から一枝庵までは700m。大興寺を通って狭い山道に沿って30分ぐらい上がれば、草屋根の一枝庵が現われる。ここは草衣禅師が末年を過ごした所で、韓国の茶文化の聖地となった。

一枝庵の裏手には草衣禅師がお茶の水を受けたという泉、乳泉(ユチョン)がある。「乳の泉」という意味の名前のように水がほのかな乳色を帯びている。味も甘い。お坊さんが外出しない日に行けば、乳泉の水を沸かして煎れたお茶を飲むことができる。お茶を飲まなくても、一枝庵の縁側に座って畿重にも開かれた山の稜線を限りなく眺めるだけでも、世の中の雑念が消えてしまうようだ。ここは晴れた日にも良いが、雨が降った後に雲霧が立ち込める時や雪が降る時はもっと風情がある。一枝庵061−533−4964。

◆文=チェ・ミソン 旅行プランナーtigerlion007@hanmail.net

◆写真=シン・ソッキョ フリーランサー写真作家rainstor4953@hanmail.net