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まだ、私が魚に見えるか?

Posted December. 29, 2004 23:06,   

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アニメーションの「シャーク・テイル(Shark Tale)」に登場する魚たちは、決定的な瞬間になると、人間のように直立歩行(尾びれを両足代わりにして)をする。大したことはないようだが、これは「シャーク・テイル」がピックサースタジオ製作の「ファインディング・ニモ」とは大きく違うアニメーションであることを物語る。

「シャーク・テイル」は魚の世界に喩えて人間の何かを語ろうとしない。むしろ人間社会を辛らつに暴きまくるために、魚という素材を「借りた」ようなものだ。

絶対権力を持つボスの鮫「ドン・リノ」(ロバート・デ・ニーロ)には悩みがある。次男の「レニー」(ジャック・ブラック)があまりにも心優しいからだ。ある日、乱暴な長男のフランキーが突然の事故で亡くなるが、たまたま事故現場に居合わせた小さい魚「オスカー」(ウィル・スミス)が、「シャーク・キラー」と誤解され、海のスーパースターに躍り出る。「くじらの洗鯨場」で働きながら出世の日を夢見ていた「オスカー」は、気の弱い鮫「レニー」と組んで、鮫をやっつけるいんちきなショーを企画する。プライドを傷付けられたボスの「ドン・リノ」は、「オスカー」との真剣勝負を宣言する。

「シャーク・テイル」の本当の主人公は、実在の人物と事件を容赦なくもじったパロディーそのものだ。この映画が「知っているほど見えてくる」のもこうした理由からだ。

「ドン・リノ」や「オスカー」、「レニー」は言うまでもなく、「オスカー」の優しい彼女「アンジー」(レネー・ゼルウィガー)、「オスカー」を誘惑するファム・ファタルの魚「ローラ」(アンジェリーナ・ジョリー)、「オスカー」の悪い雇い主であるフグ「サイクス」(マーティン・スコセッシ)は、みんな声優を務めた俳優(または監督)らに顔や表情までそっくりだ。アンジーやローラが持つひれのツヤツヤしさや、水の流れにのってひらひらと舞うような動きは、3Dアニメーション・テクニックの素晴らしさを感じさせる。

「シャーク・テイル」には資本主義社会を風刺する数々のパロディーが見え隠れしている。米国ニューヨークタイムズスクエアーを真似した海底都市には、「フィッシュキング(Fish King)」や「コラルコーラー(Coral Cola)」、「ガップ(Gup)」などの有名ブランドもじりの看板が並ぶ。名前もマフィアに似ている「ドン・リノ」は、映画「ゴッドファザー」のひと場面のように部下たちから手の甲にキッスをもらう。

「骨が折れるほど働いても残るのは貧しさだけ」という主人公の「オスカー」の言葉から伺えるように、「シャーク・テイル」が風刺の矛先を向けているのは資本主義の貧富格差と階層問題だ。ラップとヒップ・ホップが好きで黒人風の握手を楽しむ「オスカー」は、「眺めのいいペント・ハウス」で暮らすことを夢見るが、魚社会の非情な食物ピラミッドを乗り越えるのは厳しいようだ。また、ヒーロー誕生の過程を大げさに中継するテレビニュース(この時、NBC「トゥデーショー」のアンカーのケーティ・クリクのキャラクターが登場する)は、メディア商業主義に対する皮肉であり、いきなり態度を変え「オスカ」に頭を下げてマネージメント契約を結ぼうとするフグの「サイクス」の姿は、まさにショービジネス業界の醜さを示している。

来年1月7日開封、全体観覧可



李承宰 sjda@donga.com