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[オピニオン]新年の誓い「禁煙」

Posted December. 28, 2004 23:09,   

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「煙草は紳士の情熱である。煙草を吸わずに生きる人は生きる価値のない人だ」(モリエール)。「パイプ煙草を愛煙する人は絶対妻と喧嘩しない」(林語堂)。「一服の煙草は行き詰った考えを解放し、憂いを半減し、疲れを取ってくれる」(金東仁)。古今東西を通して「煙草礼賛論」を謳った名士は数え切れない。空超(コンチョ)呉相淳(オ・サンスン、1894〜1963)詩人は「禁煙」という二文字が嫌いでバスや劇場には近寄らなかった、骨の髄までの愛煙家だった。

◆しかし、世の中は変わりつつある。もはや喫煙にロマンチックなムードを見出す人はなく、近寄りたくない病原菌のように扱われる時代になった。喫煙者なら食事会などで思わず煙草をくわえた途端、自分に集まった冷たい視線を幾度かは経験しているはず。仕方なく外に出て、冷たい風の中で火をつけるときの寂しさは言葉では言い表わせない。その度に「今度こそ止めてやる」と誓ってもみるが、禁煙というのは口で言うほど簡単ではない。

◆明日から煙草価格が1箱当たり500ウォン高くなる。人生の辛さを煙草の煙に乗せて紛らわしてきた庶民にとってはこの上ない悲報だが、逆にこれを「決断の適期」と思えないのか。一日に1箱吸う人なら、1年に18万2500ウォンもさらに取られてしまう。煙草を吸わない人より税金も年間56万ウォンを余計に納めているのに、誰も「愛国者」とは呼んでくれない。金を使わせ、健康を害し、周りから嫌われる煙草を、これを機にきっぱり止めようとする人も増えるだろう。しかも、歳末。誰もが新年の計画を立てる時期ではないか。

◆一回で禁煙に成功する人をよく「毒種」と呼ぶ。でも、たとえ煙草のせいで肺がん初期と診断された人がいたとしても、それでも煙草が止められないというなら、その人こそ本当に「毒種」である。自分はそうでないと思う愛煙家なら、新年には「煙草を止めた毒種」と呼ばれてはどうか。過去には「煙草を止めた毒種」とは付き合うなという冗談もあったが、今なら皆に歓迎されるはずだ。それじゃ、おまえはどうなのかって(?)。もちろん止めます。

宋文弘(ソン・ムンホン)論説委員songmh@donga.com