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「琴兒先生は最近もデートしてますか」「もちろんだ」

「琴兒先生は最近もデートしてますか」「もちろんだ」

Posted December. 17, 2004 23:24,   

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「このように4人が一堂に集まったのは初めてのようです。天気が本当に気紛れですね。」(法頂和尚)

「15年前、和尚がいらっしゃった松広寺仏日庵を(ソングァンサ・ブルイルアム)を訪れ、麗水(ヨス)などを一緒に旅行したことを記憶しています。私がチョコレートをプレゼントしましたね。和尚と一緒に行けば、どこででもよいもてなしを受けたことを覚えています。」(琴兒)

「1975年、仏日庵を建てた時、いろいろなことを感じました。工事を早めに完成するため、秋夕(チュソク、韓国の旧暦のお盆)の時も、働く人たちを督励したことが気にかかって、数年後に、彼らに謝礼をしようと思ったのですが、皆亡くなられて謝礼することができませんでした。」(法頂)

法頂(ボプチョン)和尚と作家の崔仁浩(チェ・インホ)。法頂和尚はどの職業作家に劣らず多読することで有名で、一時出家を夢見た作家は、「仏教的カトリック教徒」とよく言われる。法頂和尚と作家は未だに原稿用紙に万年筆で文を書いている。

「私はこの間、一戸建てからアパートに引っ越しましたが、まだ新しい住家に馴染めないでいます。文がよく書けないのです。ただ、毎日のように清渓山(チョンゲサン)に登って霊感を得ています。」(作家)

「崔先生は昔から『清渓山の住職』じゃないですか。清渓山は朝鮮時代に迫害を受けた仏教徒たちが、ソウルに入城する前、服を着替えたり、施主を隠した所ですね。」(法頂)

「私は個人的には韓国戦争当時、父と清渓山に避難し、テントを張って生活した記憶があります。私が尊敬して小説にも書いた鏡虚(キョンホ)和尚も、そこで童真出家(10代前後に出家すること)しましたし・・・。」(作家)

琴兒・皮千得(グムア・ピ・チョンドク)と友巖金在淳(ウアム・キム・ジェスン)は30年以上も毎年、初雪が降ればお互いに知らせる間。1979年、 琴兒は友巖の誕生日のプレゼントにルノアールの画集を上げ、友巖はその返礼で、日本から買って来た「詩人のための物理学」と言う本をプレゼントした。

「私はこの頃、田舍で本を読み散歩することで毎日を過しています。ところで、最近の若者たちはお行儀が悪く、古典と文学作品を読まないようで心配です。日帝強制占領期間の時は、高校に入るためには競争が熾烈だったけど、一応入学した後は自由を満喫でき、自分の望む大学にも容易に入れることができたのに・・・。」(友巖)

「おそらく、読書試験を受けないからではないでしょうか。本の内容を試験に出すと言えば、それこそ競って本を読もうとするはずなのに・・・。」(法頂)

友巖がフランスの思想家、モンテニューが、「楽しい食卓には賢明な人よりは面白い人を、ベッドでは立派な女性より美しい女性を、討論をする時は多少正直でなくとも有能な人を・・・」と言った話を聞かせると、琴兒は、「晩年のアインシュタインは、死に対してどう思うかという質問に、『これ以上モーツァルトを聞くことができないこと』」と答えたと言うエピソードを教えてくれた。

琴兒と作家は自他公認の恋敵の間。美貌のある女流精神科医師は、琴兒を「最も暖かい男性」に、作家を「最もセクシーな男性」に区分している。

「先生は最近もデートを多くしていますか。」(作家)

「もちろん。」(琴兒)

「美人たちが先生をあまりにも慕うから、やきもちを焼いてしまいます。」(作家)

「崔先生こそ人気がある。私の90歳の誕生パーティに、ある女性が崔先生の隣に座らせて欲しいと言うので連れて行ったが、奥さんを伴っていらっしゃったので、仕方なく私の隣に座らせたこともある(笑い)。」(琴兒)

「琴兒先生が女性たちに人気があるのは、『縁』のような清くて美しい随筆を書かれたためではないでしょうか。」(友巖)

「私はそんな才もないし、小説家がそんなに短い文を書いていれば、到底食べて行くことができないので困ります(笑い)。」(作家)

88歳の夫人と偕老している琴兒は、自ら娘を偏愛したと告白する。雨が降るか体調が少しでも良くなかったら、学校に行かせず、自分が直接家で教えたと言う。米留学に行った娘は、お父さんが懐かしくて3回も家に帰って来た。その娘は今、世界的物理学者になって米国で活動している。



吳明哲  oscar@donga.com