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[オピニオン]ラ・スカラ

Posted December. 08, 2004 22:54,   

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イタリア・ミラノのラ・スカラ劇場が7日、再オープンした。補修工事のため、01年閉館して以来3年ぶりの再開館である。1778年オープンしたラ・スカラは、常に世界オペラの中心に立っていた。ベルディの「オセロ」とプッチーニの「トゥーランドット」がここで初演された。マリア・カラス、ジュゼッペ・ディ・ステーファノのような声楽家もラ・スカラ舞台を通じてオペラの「伝説」として位置づけられた。

◆ラ・スカラの補修工事は今回が初めてではない。1943年第2次世界大戦の時、ラ・スカラは連合軍の爆撃によって、天井と舞台、客席などを殆ど失った。戦争中でも軍人と患者のための公演を引き続き行ったので、劇場を失った市民の失望は大きかった。そうした市民らの積極的な参加で補修は早い期間に行われた。1944年には部分的に補修された状態で、記念コンサートを開き、戦争が終わった後の1946年4月完全に復旧された。

◆約800億ウォンが投入された今回の補修工事には先端技術が総動員された。特に、舞台工事に心血を注ぎ、一日三本のオペラ公演ができるように設計された。客席にはイタリア語、英語、フランス語の台詞が同時に提供されるスクリーンを設置した。新しく衣替えしたラ・スカラは、226年前の開館日に上演したアントニオ・サリエリのオペラ「Europa riconosciuta」を舞台に上げた。歴史的な再開館を祝う公演には、ベルルスコニ元イタリア首相をはじめ、各国の貴賓が大勢足を運んだ。ミラノの随所に設置された大型スクリーンを通じて公演実況が中継され、サンビットーレ監獄の囚人も公演を鑑賞した。

◆音響と舞台が完璧になったラ・スカラの再誕生に観客は惜しみない拍手を送った。しかし、ため息も聞かれる。ラ・スカラの世界的な名声は施設が良いからではなく、偉大な作曲家のおかげだった。しかし、ドニゼッティ、ベリーニ、ベルディらイタリアオペラを牽引してきた作曲家の系譜は、80年前に死亡したプッチーニを最後にその命脈が途切れた。トスカニーニ、ムーティの後を継ぐような指揮者も見受けられない。声楽家の系譜もパヴァロッティを最後に途切れる危機に瀕している。技術の発達で「ハードウェア」の公演場の水準は日増しに良くなっているが、これを埋める「ソフトウェア」がなければ、何の意味があるだろうか。

パリ=琴東根(クン・ドンヒョン)特派員 gold@donga.com