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[オピニオン]三星半導体30年

Posted December. 07, 2004 23:32,   

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韓国初の半導体ワイパー加工会社は、カン・キドン博士が1974年設立した韓国半導体だった。カン博士は米モトローラで働いた経験を生かして半導体事業に飛び込んだが、1年もならないで資金難に直面した。その時、同社を引き受けた人が当時東洋(トンヤン)放送の理事だった李健煕(イ・ゴンヒ)三星(サムスン)会長だ。李会長の決定は三星経営陣内部でも歓迎してもらえなかった。テレビもまともに作れないのに、先端分野を取り扱うのはリスクが大きすぎるとの理由だった。故李秉迵(イ・ビョンチョル)三星会長が1983年、半導体事業本格化を宣言した時も、「無謀だ」と言うのが国内外の大半の反応だった。

◆評価が「無謀な賭博」から「果敢な決断」に変わるまでは何年もかからなかった。三星電子が1983年、64KDラムを初めて開発した時、世界最高とは4年半の技術格差があった。しかし、1984年に3年、1986年に2年、1988年に6カ月に減るかと思ったら、1989年には肩を並べた。とうとう1992年には64メガDラムを世界で初めて開発し、Dラム分野の浮動のトップに立ち上がった。この30年間、三星は110兆ウォン分の半導体を売り、29兆ウォンの利益をおさめた。

◆三星電子の今日があるまでは、蔑視に堪えながら先進技術を学び、創意性を加えて世界最高の技術力を成し遂げた研究陣、より良い製品をもっと安価に作るため、終始汗ばみながら働いた労働者たちの功が大きい。しかし、このような土台があったと言っても、最高経営者の思い切った投資決定がなかったら、半導体産業は芽生えることさえできなかったはずだ。系列社間投資と支援も欠かせない。インテル社のエンデ・グローブ取締役会議長は1994年、韓国新聞とのインタビューで、三星電子の持っている競争力の源泉として、技術力と共に他の系列社が裏付ける資金力を指折ったぐらいだ。

◆経営学の用語には、イメージは正反対だが実体は同じ意味の言葉が少なくない。「オーナー経営者の果敢なリーダーシップ」を悪く言えば「皇帝経営」になる。「タコ足経営」は「事業多角化」の同義語だ。系列社間資金力共有を誰かは「効率的な資本利用」と言い、誰かは「同伴不良の種子」と言う。その両面を共に見ないで、否定的な方だけを見る人々に、三星の半導体神話は永遠に解けない謎ではないだろうか。

千光巌(チョン・クァンアム)論説委員 iam@donga.com