Go to contents

力道山を通じて自分を表現した

Posted December. 01, 2004 22:56,   

한국어

−力道山と言う人物をどのように解釈したか。

「力道山を予め研究はしなかった。本を読んで研究すれば、かえって演技に邪魔になる。私は力道山を再現しようとしたのではない。そのつもりなら、ドキュメンタリーを作った方がましだ。真似したくなかった。自分を持って力道山を表現してみたかった。」

−それではあなたが取った力道山のコンセプトは・・・。

「卑劣な男だ。16歳の時、日本に渡って、生存の泥沼の中で生じた卑劣さだ。しかし私は力道山を悪者とは言いたくない。映画を撮る間、始終、この人が幸せな人なのか不幸な人なのか判断がつかなかった。」

−映画の97%が日本語だが・・・。

「最初の3カ月は、1週間に2回、先生に教えてもらった。でも、日本の俳優たちとシナリオを読んでいたら、せりふが終わったのも区別がつかなかった(笑い)。日本の俳優たちが個人教師をしてくれた。実際に撮影に入ってからは、教えてもらわなかった。発音だけをまねていては、結局、「自分」がなくなると思った。日本のアナウンサーがシナリオを本読みのように発音したのを録音して来させた。それを撮影の前日に聞いてから、撮影当日には諦め半分で、自分の感情通りに喋った。感情だけは守りたかった。幸いに、日本人スタッフたちに私の日本語がますます自然になって行くと言われた。」

−レスリング・シーンは大役がいなくてずいぶん苦労したと思うが。

「実際に身体と身体がぶつかることだから神経が尖っていた。巨体の日本レスラーたちに投げ込まれたら、しばらくはカメラがどこにあるのかさえ分からないぐらいだった。スタッフたちから聞いたが、私が自分も知らずに「死にそうだ、死にそうだ」とつぶやいていたそうだ。」

−殴られるのも殴るのと同じく難しかったと思うが。

「山本太郎という日本の俳優をトイレでひどくぶん殴るシーンがあった。撮影前、監督にお互いに挨拶しなさいと言われたが、私が拒んだ。親しくなれば人情が生じてしまうから。撮影に入るや否や、思う存分ぶん殴ってやった。チョン・ドュホン武術監督がソン・ヘソン監督に、『景求(キョング)は撮影に入れば、目の色が変わる』と言ったそうだ(笑い)。」

−演技のため体重を20kgも増やして94kgになった後、撮影後1カ月半で再び18kg痩せたそうだが。

「俳優がわざと痩せるのは自慢でない。一日中痩せなければならないということだけ考えていたから、当然痩せたわけだ。夕方には清淡(チョンダム)大橋から盤浦(バンポ)大橋まで走った。目眩がして苦しくてタクシーで帰って来たら困ると思って、一文も持たないで半ズボン姿で出た。自分が信じられなかったので。」

−「ペパーミント・キャンディー」以後、4年ぶりの単独主演だ。110億ウォンと言う製作費を負っているが、負担ではないか。

「何故私が110億ウォンを負っていると言うのか。私はギャラとお弁当しかもらってない。残りはソン監督が全部使ったんだ(笑い)。いつの間にかハングリー精神がなくなっていた。お腹が贅肉でいっぱいになった。率直に言って、適当にやっていくこともできた。私を「演技派俳優」と言うが、これで何年かは食べて行けるだろう(笑い)。何作品かは下手をしても、いきなり「演技派」ではないとは言えないはずだから。しかし、自分を試してみたかった。「痩せれるか。また1人でやりこなせるか」と悩んだ挙句、「やってみよう」と決めたのだ。」



李承宰 sjda@donga.com