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新聞を燃やそうというのか

Posted November. 19, 2004 23:03,   

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焚書官(fireman)モンターグは本を捜索して焼き払う仕事をする。彼が住む社会では人間の考えを防ぐためのあらゆる装置が備えつけられている。自動車は高速にだけ走るように規制されて道路周辺の広告看板もすべて超大型だ。テレビ番組は視聴者を配役に参加させて仮想世界に溺れるようにするので、これに中毒した一般市民の夢は居間四方の壁をできるだけ超大型テレビ画面にすることだ。

▲小説『華氏451度』の本燃やし▲

ある日、彼は16歳の少女クラリスに会って考え始めるようになる。自分の職業が過去火をつけることではなく、火を消すことであったのに気づき驚いて、彼の職業と社会の価値に対して懐疑を抱く。彼は捜索した本を隠し始め、当局に追われる身になり、結局は自由思想が許される後日のために消えていく本を暗記する知識人集団に合流する。

1951年レイ・ブラッドベリが書き、1967年映画にも制作された作品『華氏451度』の内容だ。この「考える人々のための作品」がブッシュ大統領を辱めるために作った三流煽動物「華氏911」のため知られたことは甚だしく残念なことだ。華氏451度は本が着火して燃え出す温度だが、マイケル・ムーア監督が華氏911は「真実」が燃える温度だと主張しているのはあいた口がふさがらない。

今日、放送とインターネットが社会世論の主導媒体に登場した状況はブラッドベリが想像した反ユートピア世界を連想させて恐ろしい。画面は印刷物より長く記憶されず、その時の感じを主にしまっておく。特に放送は選択された画面処理と激昂した報道を通じて一方を悪の勢力に、他方を正義の使徒に操作することができるが、これはまさに弾劾放送の時に明らかにされた手法だ。自覚した国民でないなら、操作と宣伝に上手な人々に振り回されやすい社会であるだろう。

反面、5W1Hをきちんと入れなければならない新聞紙面は繰り返して読みながら吟味することができるため整然とした論理と分析でなければすぐ信頼を失う。整った文章と行間に意味が込められるので頭を使わない人間は楽しむことができない。だから新聞を格下げすることは社会水準を格下げすることだ。国民を欺瞞しようとする勢力なら、当然統制したい欲望が起きるだろう。

政府は各種の新聞規制法を通過させて主要新聞の読者を制限する予定だ。放送と違い、自らお金を出して新聞を選択した読者に、政権はまるで彼らが一部言論社に詐欺を受けたように、彼らを言論の横暴から救いあげる措置であるように糊塗する。しかし新聞読者をどう見てこのような言語道断なことをするのか。これを提案する各集団は過去の策略、操作と煽動を頻繁に行い、焦点をぼやかし、欺瞞し、糊塗する才能を見せてきた。もし批判新聞がなければ、すべての人はこのような宣伝を「考えず」受け入れるだろう。結局、半世紀前にブラッドベリが予言した愚衆を統制する一党の長期執権の世界が到来するかもしれない。

自由世界に類を見ない新聞市場の再編を図りながら、政府はこれが公共性のある事業であるため規制すると言う。しかし公共性の物差しなら放送が優先だ。放送こそ公共媒体なのに、現在政府の代弁ばかりして視聴料の納付を強いる。しかし、政府がそんなに多様な意見に沒頭するとしたら、国民が特定放送に偏らないように措置を取らなければならないだろう。KBS、MBCの聴取率がそれぞれ30%を超えないようにテレビチャンネルを特別製作するか、視聴料の取り立てを制限するかの制裁に出なければならない。

▲新聞統制は読者意識の統制▲

政府が予定通り3大新聞の購読率を制限すれば他の新聞はこの政策の恩恵を受けるだろう。ところで1ヶ月前に恩恵者になる新聞の一つであるM新聞が論説した内容を見てみよう。「新聞市場に対する人為的な調整によって世論市場が歪曲されれば…結果的に新聞全体の批判機能が失われて言論に対する国民の信頼度が墜落し、やがては新聞市場全体が荒廃の道を走ることになることを憂慮せざるを得ない。」自らの利益にそっぽを向いて正道の論説を書くこのような新聞からどんな政略にも腐敗しない新聞の言論機能を伺うことができる。