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性と霊魂

Posted November. 19, 2004 23:05,   

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性に関する一番もっともらしい通念の一つは、それが人間の動物的本性と関連があるということだろう。しかし、人間を除いた他の動物たちの「生殖」と人間の「性」は、全く違う次元に置かれている。

この本、「性と霊魂」は、その中でも特に、宗教的脈絡に置かれている性文化に注目する。古代の原始的呪術から現代の先端バーチャルリアリティーに至るまで、また、北極のエスキモーからアフリカの少数種族に至るまで、多様な文化が性と霊魂の関係をどのように理解して来、また実際にどのように営んで来たのかをパノラマのように見せてくれる。性を身体領域で起こることとだけ見なすなら、性に霊魂を連携させるのは相応しくないように感じられるかも知れない。しかし、この本は性文化が人間の個人的かつ社会的な霊的体験と緊密な連関を持ちながら展開されて来た様々な様相を、東西古今の多様な事例を通して確認させてくれる。

著者は序文で、「性は人間の自我と宇宙の断絶を治すための象徴的手段として見なされて来た」と指摘する。彼は、「性が陶酔の一つの形態として機能することによって、個人的超越に到逹できる通路の役目を果たして来た」と書いた。最も極端な形態の肉体的快楽に貪溺する時さえも、それはあくまでも最も霊的で超越的で精神的な意味を持っていたということだ。

その代表的な事例は、インドのタントラと中国の道教にみられる。インドと中国を往き来した仏教の僧侶たちによって、お互いに影響を与えたこれら宗教では、性が宗教的求道の過程と直接的に噛み合っている。西洋の性的神秘主義の伝統にみられるように、個人の超越を得る手段として性を活用することだが、この際、性的体験と言うのは、他ならぬ霊的体験だ。こんなにまで直接的ではないとしても、世界の至る所で多様に現われる性風俗の根源を追跡して行けば、「宗教的祭祀」としての脈絡が発見されることを同書は確認させてくれる。

一方、彼とは正反対の様相に思われる西欧キリスト教の禁欲主義的伝統に対しても、著者は、「西洋世界が罪悪だと思うことの相当数は、宗教の経典とは関係がない」と指摘する。彼は、「性に関する罪のリストは、4〜5世紀、ローマ帝国末期に少数の人々によって作られたものだ。以後、日増しに強まる教会組職によって広がり強化された」と主張する。ここで著者が注目する部分は、このような性観念もやはり、「肉体に対する健全でない軽蔑」のためと言うよりは、「霊魂に対する強い執念、神にもっと近づこうとする覚悟」から始まったという点だ。

この他にも、同書には面白い事例がいっぱいある。キプロスのパポスにはアプロディテの神殿があった。この都市の女性たちは結婚する前に、神殿で見知らぬ人に売春を1回しなければならなかった。しかし、彼女たちはその後も処女と見なされ、この売春で子供が生まれれば、「童貞女」から生まれたと言って神殿で育てたと言う。

また、公式的に母子間の同衾を許容した南米のクベオ族やアフリカのトューチ族の事例を通して、最も堅固のようにみえる母子間の近親相姦をめぐるタブーも、文化によってはいくらでも異なって現われることがあるということも見せてくれる。



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