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千年の歳月 落ち葉のささやき

Posted November. 18, 2004 23:23,   

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「山自分水嶺(山がまさに分水嶺)」。「山は川を分け、川は山を超えない」というこの平凡な真理。朝鮮後期の地理学者、旅庵・申景濬(シン・ギョンジュン、1712〜1781)が、『山経表』で言った言葉だ。これは、我々が最近よく使う「1大幹1正幹13正脈」という白頭大幹(ペクトゥデガン)の根幹。白頭大幹の14の山脈はここから由来する。

凡そ地理というものは、自然の姿を春にだけあるのではなく、その自然によって決定された互いに異なる生の姿を理解する道具である、というところに焦点をあてた旅庵の人文的地理観は、その点で特別である。

●「左安東・右咸陽」ソンビの故郷

晩秋に、強いて旅庵の『山経表』まで出したのには、理由がある。晩秋に浸り自然に酔ってみよういう人々に、慶尚南道咸陽(キョンサンナムド、ハムヤン)の上林(サンリム)の森を紹介したいのだが、そのためには少々生硬な「咸陽」を理解しなければならないからだ。

智異山(チリサン)と言えば直ちに「全羅道(チョンラド)の地」を思い浮かべるが、慶尚南道の咸陽も智異山の裾野である。山が高ければ谷も深いもの。「山自分水嶺」という言葉通り、蟾津江(ソムジンガン)の辺、求禮郡南原(クレグン、ナムウォン)の全羅道の土地ではなく、その反対側、東側に流れる小川が潤す山野にも人が住んでいる。その地が慶尚道であり、そこの智異山のふもとが咸陽である。

「左安東・右咸陽」。儒学を尊んだ朝鮮時代に咸陽の地は、たとえ谷間であるとしても、多くの書院と郷校、そしてソンビ(学者)の故郷だった。そして、ここは、東西の交易路でもある。そのため物産も豊かで、そのお陰で人材も豊かだったようだ。その咸陽には渭川(ウィチョン)が流れる。上林は、その渭川の川辺にある静かな森(6万坪)だ。

1100年、新羅(シンラ)の崔致遠(チェ・チウォン、857〜?)が、同地(天嶺郡)に太守として訪れ、造林したというこの千年の森は、真夏には冷蔵庫ほどの凉しい陰を、秋には紅葉と落ち葉の風景を、そして真冬には素敵な雪景色を披露してくれる、先人からの贈り物だ。

●大山「智異」流麗な尾根を眼下に

咸陽邑を発ち、智異山の七仙(チルソン)渓谷の碧松寺西巖(ビョクソンサ、ソアム)へ向かう道、途中でオドジェ(海抜750m)という険しい峠を超える。

這う蛇のように7つのカーブのあるチアンチを経、頂上を越えて下ると、「智異山眺望公園」にたどり着く。ここに立つと、下峰(ハボン)、中峰(ジュンボン)、天王峰(チョンウァンボン)はもとより、ジェソク峰、セソクピョンジョン、ピョクソリョンにつながる巨山智異の流麗な尾根が、青空を背景にパノラマのように展開する。智異山が、いや白頭大幹の裾野をこのように一目で展望できるドライブ・コースが、果たして他にあるだろうか。

峠の下は、馬川面(マチョンミョン)ウィタン里、西巖は橋を渡って七仙渓谷の入口の左側の中腹にある。ウォンウン僧が40年間の努力の末に、多くの石工と共に完成させたここは、巌窟型の岩壁に刻み込まれた多くの仏、菩薩、羅漢の精巧な彫刻が見事である。

●旅行情報

△上林〓大田—トンヨン高速道路〜咸陽分岐点〜88高速道路〜咸陽

△西巖〓咸陽邑〜国道24号(馬川方向)〜1023号地方道〜ジアンチ〜オドジェ〜智異山眺望公園〜ウィタンギョ(馬川面)〜七仙渓谷〜チュソン里

△咸陽郡庁(www.hamyang.go.kr)〓055-960-6114

△智異山眺望公園〓オドジェ休憩所055-964-0009



趙誠夏 summer@donga.com