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革命家の「美しき旅」 映画「「モーターサイクル・ダイアリーズ」

革命家の「美しき旅」 映画「「モーターサイクル・ダイアリーズ」

Posted October. 27, 2004 23:10,   

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映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」は正直なので力が強い。映画的でないからこそなおさらドラマチックだ。革命家のチェ・ゲバラはキューバ民衆を解放したか知らないが、彼の若き時代を描いたこの映画は、これまで硬くイメージが固定されてしまっていた一つの単語をまともに「解放」した。その単語は他ならぬ「道」だ。ハンドヘルド技法を通じて描かれるこの「道」が喜怒哀楽の感情を持った生きている有機体であることに気づいた瞬間、あなたはすでにチェ・ゲバラの悟りを盗んだことになる。

来月12日に封切られる「モーターサイクル・ダイアリーズ」は、一名「プセ」と呼ばれた無鉄砲で気弱な23歳の医学生エルネスト・ゲバラ(チェ・ゲバラの本名)が繰り広げる8ヵ月間の南米大陸旅行を描いた。「プセ」(ガエル・ガルシア・ベルナル扮)は生化学徒の友達アルベルト(ロドリゴ・デ・ラ・セルナ扮)と一緒にアルゼンチンからチリ、ペルーの荒れて寂しい土地と由緒ある遺跡地を見て回りながら革命の悟りを得る。

プセが悟っていく過程は彼が歩いていく「道」や道で出会う「人」、そして人々が暮らす基盤である「土地」が三位一体であることに気づく過程と一致する。「道で暮してみて、何か変わったんだ」という彼の言葉はこれを集約した表現だ。この映画がただ「美しい」という範囲から離れて、何か「凄い浪漫性」を見せるのは、この映画の素材(道)とテーマ(人)と情緒(土)が完全に一つであるからだ。うねる川水と野原に吹く風、そして吹きつける吹雪と照り付ける日差しが何かを今更語りかけているように感じられたら、それでこの映画は話したいことを全部話したわけだ。

疏外されて死にかけている老婆、死を覚悟の上で日雇い労働をやっている労働者、船で出くわした売春婦など、多様な地元の人との短い出会いと別れをドキュメンタリー的ニュアンスで繰り返すこの映画が強力なリアリティーを持つ理由は、(逆説的かも知れないが)この映画がどのことにも拘らずただすれ違うからである。「主張する」より「見せること」を選択したこの映画の序盤の戦略はだからこそ強い中毒性を持つ。

しかし、「モーターサイクル・ダイアリーズ」は喘息を患って元気がなかったプセがアルベルトを追い越して歩きながら道を急ぐ中盤から態度を変える。プセの悟りの中に首を突っ込む。ラテン・アメリカ最大のらい病患者の村、サン・パブロに付いたプセ一行が、らい病患者たちと共に暮らす後半部でプセは、「23歳の予備医師」から「時代の医師」に成長する。そして彼は8ヵ月間の旅程に終止符を打つ。とても重要な話をむしろすれ違うように軽く言って魅力的だったこの映画は、その瞬間から露骨な直説話法に変わる。

この映画の後半部は「チェ・ゲバラ」を望む人には印象深くて強烈だ。代わりに「映画」を望む人には同語反復的だ。どうして「意味」はいつも強く語られなければならず、「悟り」はいつも最後のところで強調されなければならないのか。

「セントラル・ステーション」のブラジル監督「ウォルター・サレス」演出、本年度カンヌ映画祭競争部門進出作品、15歳以上観覧可。



李承宰 sjda@donga.com