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アブラハムはなぜ息子を生け贄に捧げたのか

アブラハムはなぜ息子を生け贄に捧げたのか

Posted November. 14, 2020 08:47,   

Updated November. 14, 2020 08:47

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アブラハムは、苦労して得た一人息子・イサクを生け贄にささげろと神に命じられて山に登る。何も知らないイサクは、アブラハムに従いながら尋ねる。「薪と火は準備されたが、生け贄に捧げる子ヤギはどこにありますか?」。アブラハムは「神様が準備されることだ」と答えている。

アブラハムの創世記の逸話は、聖書の中で最も有名なエピソードでありながら、決して理解することは容易ではない。宗教的・観念的洞察を通じて、生の裏側を深く掘り下げた作家は、新作の連作小説集で創世記のこの難題を「イサクの声」という文学的復元を通して解きほぐす。最愛の存在を生け贄に捧げることを要求する神と、そこに従う父親の間で隠されていた息子の口を借りている。

「捧げることが愛の表現であれば、ささげるよう要求することは、なおさら大きな愛の表現です…ささげるよう要求しながら、神はすでにささげろ、という要求を受けているのではないでしょうか?」

すべての出来事が終わった後、イサクが振り返るそのシーンで、作家が提示する答えは愛だ。「愛する息子」(アブラハム)の「最愛の息子」(イサク)をささげるよう命ずる神は、結局、最も愛する者であり、最初に愛した者だ。人間の常識では到底理解できない叙事が、繰り返しと拡張の手法で変奏されながら、新しい文学的真実を獲得していく過程は胸に染みる。

アブラハムとイサクの誕生前後に起こった他の創世記の逸話をモチーフにした短編が、表題作を中心に前後に配置されている。アブラハムの甥であり、ソドムの滅亡の中でも生き残ったロト、イサクの異母兄弟・イシュマエルを生んだ女奴隷・ハガル、イサクの息子・ヤコブの脱出と夢など、創世記の有名な逸話が、神の世界を完全には理解できないが、その愛の中に巻き込まれている人間の物語として再び生まれた。


パク・ソンヒ記者 teller@donga.com