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聖域が崩壊する理由

Posted September. 04, 2020 08:40,   

Updated September. 04, 2020 08:40

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タイで、反政府デモ隊と政府側勢力の間に流血衝突が起こった2010年5月、バンコクに出張に行った。都心は内戦を彷彿とさせる状況だった。市街地各地で火の手が上がり、時々銃声が聞こえた。現場で会った「赤シャツ隊」という名のデモ隊は、多くが素朴な貧民や農民だった。彼らは親庶民政策を実施したタクシン元首相を支持した。中産層が中心の「黄シャツ隊」の反発と軍部クーデターで、タクシン氏が退いた後、両者の間に蓄積された対立がデモで表出したのだ。政府は軍を動員して強硬鎮圧し、91人が命を失った。

最近、タイで再び反政府デモが起こっている。7月中旬に始まって以降、タイの76の地方自治体のうち55個以上でデモが起こった。先月16日にバンコク都心で開かれた集会には約2万人が集まった。彼らの要求は、現政権の退陣、憲法改正、野党要人への弾圧中止などだ。以前のデモと似た内容だ。

しかし大きく変わった点がある。まず、デモの主体が変わった。2010年のデモは貧民・農民が中心だったが、今は青年や学生が主軸を成している。彼らの多くは「黄シャツ隊」の子弟でもある。

特に、これまでタイ社会でタブー視された王室改革の要求が出ているという点で明確に区別される。タイで王室は聖域だ。タイは立憲君主制だが、王室の権威が他の立憲君主制国家より強く、国王は相当な権限を持っている。王室冒涜罪は最高15年の懲役刑に処される重罪だ。また、70年間在位し、2016年に他界したプミポン前国王は、国民の信望を得た。目につかないように影響力を行使して政治的対立を解決し、国民を苦しみから救おうとする姿を見せたためだ。

しかし、世代が変わって新しい国王が即位し、状況が変わった。タイの若い世代は、インターネットやSNSを通じて様々な情報をやり取りする。既存の秩序と権威を以前の世代ほど重視せず、公正性に対する期待が高い。

彼らが現実に目を開くことになった決定的な契機は、昨年3月の総選挙だった。730万人の25歳以下の若者が生まれて初めて投票権を行使した。新生政党「フューチャー・フォワード党」は、クーデター遺産の根絶、透明な政府などを掲げ、若者世代の支持を受け、一躍院内第3党になった。しかし、軍事政権の圧力の中、憲法裁判所は昨年11月、同党のタナトーン・ジュンルンアンキット党首の議員資格を剥奪し、今年2月には党を解散させた。

若者世代の深い失望は、政府と軍部を越えて王室に向かった。米外交問題評議会(CFR)のジョシュア・クランジック研究員によると、「ワチラロンコン国王は、タイの政治、軍事、経済の領域で影響力拡大を推進し、現実政治の中心に立とうとする」ことが原因だ。また、「皇太子の時から頻繁な外遊とスキャンダルで前国王が受けた大衆的支持を得られずにいる」とクランジック氏は指摘した。

社会に聖域ができるのは、守らなければならないほどの価値があるためだろう。時間が流れてその価値が揺らぎ、役割が変質すれば、挑戦を受けることになる。タイ王室は、立憲君主制体制の中で国民の精神的支柱の役割を果たし、尊重された。依然としてタイでは王室に対する畏敬の念が強いが、少なくとも今回のデモを通じて王室が社会的議論の領域内に入ることになったと、英紙フィナンシャル・タイムズは分析した。聖域の硬い壁が少しずつ崩れているようだ。