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青い目と白い肌

Posted April. 17, 2019 07:57,   

Updated April. 17, 2019 07:57

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青い目をほしい少女がいる。少女は映画に登場する白人女性の目や自分が持っている白人人形の目のようになりたい。そうなると皆から愛され、暴力に苦しめられないと思った。非現実的だが空虚な考えではない。青い目を持つ白人だったら、いい環境でちゃんと接してもらえ、人間らしく生きることができただろうから。

黒人少女の名前はピコラ。ノーベル文学賞受賞者トニ・モリスンの『青い目がほしい』に出てくる主人公だ。少女が夢をかなえることは生まれ変わることのように不可能なことだ。それでも少女は自分が青い目を持てたと信じる。気がふれたのだ。1940年代を背景に展開するストーリーなので遠い過去のことと思われるが、必ずしもそうではない。21世紀に入った今も、肌の色が差別の理由になる米社会だからだ。

米国だけではない。差別は世界のどこにでもある。韓国にもある。キム・ジェヨンの小説『象』にも似た場面がある。象の国ネパールから来た父親と朝鮮族の母親から生まれ、肌が浅黒い少年。少年は他の韓国人のような肌の色になりたい。そうすれば保護色を帯びた蛾のように、韓国人の間で目立たず行動し、自由に暮らせると思った。「いじめ」を受けたり、子どもたちが撃つオモチャの銃の標的にならないと思った。それで彼は毎朝漂白剤を溶かして顔を洗い、夕方には鏡を見て顔がどれだけ白くなったか確認する。

気がふれるほど青い目を望み、肌が白くなりたくて漂白剤で顔を洗うことは現実によくあることではないかもしれない。しかし、多少誇張されたストーリーの背後には、それより少なくない差別と傷の影がある。その影を少しずつでも取り払おうとする努力、まさにこれが共同体の倫理的力だ。