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善い足

Posted March. 27, 2019 08:35,   

Updated March. 27, 2019 08:35

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息子は自分を完全な人格体として愛する父親が足の指の通風で苦しむ姿を心に刻んだ。トイレに行く時は片方の足を上げて這って行かなければならず、薄いシーツに触れることも苦痛で、外に足を出して寝なければならなかった父、その父親の苦痛が息子には心の傷だった。息子は、赤くはれている父親の左足の親指を撫でて言った。「善い足、大丈夫だったか? 本当に善い足!」。父親でなく足の指に話しかけた言葉だった。息子は父親の病気が治った後も左足に話しかけた。「善い足、善い足、大丈夫だったか?お元気でしたか」。

彼は2つの脳を持って産まれ、手術で一つに切り離し、障害者として生きていた。彼が足に話しかけたのは、年を取っても永遠に子どもの状態だからだった。父親を思う気持ちが感じられながらも、コミュニケーションが完全でないので悲しみも込み上げる。

これは、ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎氏の短編連作集『新しい人よ眼ざめよ』に出てくるエピソードだ。しかし、フィクションではなく実際の記録だ。作家の長男の話だ。深刻な障害とてんかんまで患う息子が大江氏の多くの小説に登場するのは、それが彼にとって「強迫」であったという確かな証拠だ。しかし、その強迫によって偉大な倫理的小説が生まれた。息子が父親を強迫に追い込み、思惟と倫理の世界へ案内したのだ。

世の中と歴史に追い込まれた他者に対する大江氏の愛情と関心は障害を持つ息子に対する関心の延長だった。そのためか、大江氏は日本帝国主義に蹂躙された隣国の苦痛に背を向けなかった。日本本土が犠牲にした沖縄の苦痛にも背を向けなかった。隣国の傷を癒し謝罪するどころか植民主義の歴史を消し、正当化することに没頭する日本がそれなりに道徳的な破産を逃れることができるのは、大江氏のように他者の傷と苦痛に敏感な人がいるからだ。