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国立慶州博物館、光復直後に日本人から押収した文化財2600点の真偽を鑑定

国立慶州博物館、光復直後に日本人から押収した文化財2600点の真偽を鑑定

Posted June. 02, 2017 08:29,   

Updated June. 02, 2017 08:30

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国立慶州博物館が、光復(日本の植民地支配からの解放)直後に日本人たちから押収した文化財約2600点に対して真偽の鑑定をすることを決めた。慶州博物館が所蔵する中国北魏時代の仏像の押収品が、日本の植民地支配期に作られた複製品であることが明らかになったことによる措置だ。

同館の兪炳夏(ユ・ビョンハ)館長は1日、「押収品のうち植民地支配期に民間業者が製作した文化財の複製品の数がどれほどかを調査する計画だ」とし、「当時、複製品がどのように活用されたのかも具体的に把握する」と明らかにした。このため、博物館は外部の専門家と共に全体の押収品を調査することを検討している。

これに先立ち同館は、光復直後に押収した香椎源太郞コレクションのうち、この北魏の仏像の成分を分析し、複製品であることを確認した。同館のチョン・ヒョス学芸研究士は最近発表した論文「日帝強占期の文化財複製に関する考察」で、「1915年に忠清南道洪城郡(チュンチョンナムド・ホンソングン)で日本の考古学者、鳥居龍蔵が撮影した白黒写真に写っている仏像が同館の所蔵品と同じ形だと調査された」と明らかにした。白黒写真に撮られた仏像は、当時、洪城で暮らしていた日本人判事が所蔵していたもので、現在は行方が分かっていない。

興味深いのは、中国山東省の臨ジュツ県博物館にも同じ形の北魏の仏像が所蔵されているということだ。そのうえ、これらの仏像の光背の裏には、「正光6年(525年)6月10日に北京に暮らすソン・ギョンコン夫婦が弥勒仏像の1体をつくる。上には国家と四方が安定し、広く万民の望みが叶うよう助けるためだ」という内容の明文が同じように刻まれている。

明文には明らかに1体を作ったとされているが、仏像は少なくとも3体発見されている。チョン研究士は、「少なくとも中国の博物館か白黒写真に写る仏像のうちの1体は複製品であることは明らかだ」と指摘した。本物の所在は現在確認されていない。

これと関連して京都帝国大学の濱田耕作教授の提案で、1920、30年代、日本の上野製作所が作った文化財の複製品が注目される。濱田教授は韓半島の古墳の発掘に参加した日本の考古学者だ。

最近同館が入手した1931年の「考古学関係資料模型目録」によると、上野製作所は教育・展示用に韓国と中国、日本の文化財約400点を精密に複製した。このうち韓国の文化財は、高麗時代の仁宗諡冊と慶州入室里(キョンジュ・シプシルリ)の青銅器をはじめ計17件、53点と調査された。

彼らはなぜ韓国文化財の複製品を作ったのか。チョン研究士は、韓国の歴史の独自性を傷つけて日帝植民史観を強化しようとする目的もあったと分析する。平壌(ピョンヤン)楽浪墓から出土した文化財のように、中国から影響を受けた形跡が濃厚な文化財が複製の対象として多く選ばれたためだ。実際に模型目録が植民地支配期に国民学校(現小学校)に教育資料として配布されたことが確認されている。



金相雲 sukim@donga.com