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すべては「冬のソナタ」シンドロームから始まった、日本の「韓流」史

すべては「冬のソナタ」シンドロームから始まった、日本の「韓流」史

Posted May. 27, 2017 09:28,   

Updated May. 27, 2017 09:29

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「韓流」という単語は、およそ1990年代後半~2000年代初期、台湾、中国、韓国などで使われ始めたという。日本では、2003年にNHK衛星放送でドラマ「冬のソナタ」が放映されたことを機にこの単語が使われるようになった。

NHKは当初、衛星放送の「つなぎ」用だった冬のソナタが予想外に反響を得ると、翌年地上波で再び放映した。この時から日本で韓流ブームに火がついた。冬のソナタ「大当たり」を目撃した他の民間放送局も先を争って韓国ドラマを輸入した。この時期を第1次韓流ブームと呼ぶ。

これに先立ち、2000年に映画「シュリ」や「共同警備区域JSA」などがヒットし、日本人が韓国コンテンツの水準を見直す契機となった。折しも2002年に韓日ワールドカップが開催され、韓国に対する好感度が高まった。2001年に日本でデビューした歌手のBoA、2005年にデビューした東方神起が現地化された韓国人歌手として日本国内の韓流ブームの拡散に力を加えた。

日本の第2次韓流ブームは、2010年8月にガールズグループのKARAや少女時代などの日本デビューとともに吹き始めた。その年、新人を対象にしたCDとDVD販売順位でKARAと少女時代が日本人アーティストを抜いて並んで1、2位を占めた。

古家正亨氏の解釈によると、KARAと少女時代は日本の音楽界に新たなアイドル像を提示した。「AKB48」のように「会いに行けるアイドル」、「ファンが育てるアイドル」が大勢だった日本で、長年の訓練を通じて「完成されたスター」として登場した彼女たちは驚嘆の対象ろなるには十分だった。

 

2012年以降、韓流は地上波からは姿を消したが、ファンたちは水面下で「静かな支持」を続けている。KARA出身のハン・スンヨンさんが13日に東京で行ったファンミーティングには、10万ウォン近い入場料にもかかわらず1600人余りのファンが集まった。

韓日関係を長く見てきた人たちは、1970、80年代に日本で活躍した韓国人歌手も両国間の理解を高めるのに貢献したと評価する。たとえば、1976年に登場した歌手の李成愛(イ・ソンエ)さんは、「日本で成功した初の韓国人歌手」だ。李成愛はチマチョゴリ姿で歌番組に出演し、「カスマプゲ~胸がせつない」、「釜山港へ帰れ」を日本語と韓国語を混ぜて歌った。

趙容弼(チョ・ヨンピル)さんは1987年、韓国人歌手では初めてNHKの紅白歌合戦に登場した。毎年12月31日の大晦日の夜、生放送で放映される紅白歌合戦は、その年に実力と活動が認められた歌手にだけ出演の資格が与えられることで有名だ。趙容弼さんはその後4年連続、紅白歌合戦に出演した。ソウル五輪が開かれた1988年からは、桂 銀淑(ケ・ウンスク)、金蓮子(キム・ヨンジャ)さんなどが次々に地上波に登場し、人気を呼んだ。ただ、趙容弼さんを含め彼らが日本で歌った歌はすべて演歌に限定されていた。1989年には、ぺティ・キムさんが加勢して4人が紅白歌合戦の舞台に立った。昨年、故人となった若宮啓文元朝日新聞主筆はこの時期を「韓流の第1ブーム」と呼んだ。



徐永娥 sya@donga.com