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[社説]独社民党の賢者・故シュミット氏、韓国野党からはなぜ出てこないのか

[社説]独社民党の賢者・故シュミット氏、韓国野党からはなぜ出てこないのか

Posted November. 12, 2015 07:33,   

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ドイツの政治家、ヘルムート・シュミット元首相が死去した。中道左派政党の社会民主党(SPD)の政治家でありながら、政派を超えて尊敬されたのは、遠大なビジョンを示しながらも、最後まで実用主義者であり続けたからだ。ドイツ統一の礎石を固めたと評価されるヴィリー・ブラント元首相の東方政策も、シュミット氏が後任でなかったら混乱の中で座礁したかもしれない。党内の無責任な環境主義者たちと決別し、原発建設に賛成した。労働組合の過度な権限の拡大にも、明確に反対した。何よりも、西ドイツ赤軍「バーダー・マインホフ・グループ」のテロ犯罪や、パレスチナ解放機構(PLO)の武装組織「黒い九月」ミュンヘン・オリンピック選手村襲撃事件に対して示した妥協のない対応は、ブラント氏を不信した西ドイツの保守的な国民までも社会民主党を信頼してもらえるようにした。

シュミット氏は仕事ができるという意味で「決断できる実行家(Macher)」と呼ばれた。ブラント氏の東方政策を受け継いだが、安全保障では徹底していた。旧ソ連が東欧に中距離核ミサイルを配備すると、国内外から激しい反対がある中でも米国の中距離核ミサイルの西ドイツへの配備を容認した。過激派勢力の宿主になることを拒み、国の安全保障に不安を与えない社会民主党のイメージを作った。環境主義者たちが反発して緑の党を結成して離党したが、動じなかった。シュミット氏はライン川の奇跡と呼ばれた戦後の好況が終わり、停滞期に差し掛かった経済をブラント氏から受け継いだ。だが、ドイツ経済が生きる道は輸出のみとの認識の下、保護主義を抑えつけ、欧州国家間の協力を通じて為替の安定を図ることで危機を克服した。

ドイツにおいて継続したブラント氏とシュミット氏の社会民主党政権は、わが国の金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)両政権と良く比較される。金大中政権の太陽政策は、後任がシュミット氏のような実用主義者ではなく、盧武鉉氏のような、なおさら甚だしい理想主義者だったために花を咲かせることができず、失敗に終わったのかもしれない。親盧系(盧武鉉氏系)が主導する野党新政治民主連合は、統合進歩党と前回の総選挙まで選挙連帯を組んで従北勢力の宿主となった。曖昧な安保観から生まれた外交安保政策は信頼を得ることができず、成長へのビジョンを欠いて福祉の負担ばかりを増やした経済政策は不安を招く。

秘書室長が東ドイツのスパイだったことが明るみに出て下野したブラント氏から政権を引き継いだシュミット氏は、政権序盤に西ドイツはブラント流の民主化を支持し、抵抗文化に熱狂する勢力の挑戦を受けていたが、東ドイツはそうした混乱を煽った。シュミット氏はドイツの社会学者、マックス・ウェーバーが説いた責任倫理の立場から、ブラント時代に緩んだ社会規律を立て直し、究極的には理想主義者だったブラント氏が切り開いた統一と民主化への道を追求することができた。我々の野党には、どうしてこのような政治家がいないのだろうか。