Go to contents

[社説]53年ぶりに花開いたミャンマーの民主化、北朝鮮が見習うべきモデルではないのか

[社説]53年ぶりに花開いたミャンマーの民主化、北朝鮮が見習うべきモデルではないのか

Posted November. 11, 2015 07:24,   

한국어

ミャンマーで53年間続いた軍政の終焉が目前に近づいた。8日に行われた総選挙で、改選議席数(上下両院491議席)の約3分の1が開票された中、アウンサンスーチー氏(70)の野党・国民民主連盟(NLD)がほぼ全地域で圧勝することが確実視されている。NLDスポークスマンは10日、「選挙管理委員会がトリックを使おうと故意に総選挙の結果発表を遅らせている」と主張したが、1990年に選挙結果を無効にした軍部が、今回もミャンマー国民の民主化への熱望に逆らうことは容易ではないだろう。ノーベル平和賞受賞者でミャンマー民主化闘争を率いたスーチー氏は、世界の歴史に残る英雄となった。

NLDの勝利は、ミャンマー政権勢力が4年前から「上からの革命」と改革開放を推進する過程に生まれた新しい「ミャンマーモデル」による。2011年3月に就任したセイン大統領は軍部の一員だが、スーチー氏との秘密会談で国家の進路を修正する決断を下した。15年間続いたスーチー氏の自宅軟禁を解き、数百人の政治犯を釈放した。国際原子力機関(IAEA)の核査察を受け入れ、制裁解除の道も開いた。2012年11月の米国のオバマ大統領の訪問は、ミャンマーが国際社会の一員に復帰する決定的な契機になった。主要国が先を争って投資し、ミャンマーは世界最貧国から東南アジア経済成長の震源地に変貌した。

ミャンマーの民主化は、北朝鮮をはじめとする独裁政権に少なからぬ衝撃を与えるだろう。オバマ大統領はミャンマー訪問の際、北朝鮮に核兵器を捨ててミャンマーモデルを見習うよう忠告した。ミャンマーの民主化は、軍部政権時の指導者タンシュエ将軍の親戚・家族の身の安全と軍部の既得権を一定部分保障する一方、セイン大統領の強い改革意志、スーチー氏の民主化リーダーシップのゆえ可能となった。軍部が政治から完全に手を引くことはないが、ミャンマーは体制転覆なく平和的に国際社会の制裁から脱し、経済復興と国利民福を追求する新しいモデルを提示した。北朝鮮は、ミャンマーモデルまで拒否して孤立と貧困の道を行くのか、深刻に悩まなければならない。

韓国は、2012年5月に李明博(イ・ミョンバク)大統領がアウンサンテロから29年ぶりにミャンマーを訪れて以降、協力を強化して民主化を支援してきた。ミャンマーの選挙革命を機に北朝鮮を対話に引き出すための努力を一層強化しなければならない。2400万の北朝鮮住民にミャンマーの情報を伝え、時代の潮流である民主化に目を開かせることも、同じ民族である私たちがしなければならないことだ。

スーチー氏は、「外国人と結婚し、又は外国国籍の子供を持つ場合、大統領になれない」という憲法条項によって大統領選挙に出馬できないが、軍部が同意する場合、改憲を通じて夢を叶えることもできる。