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[オピニオン]独立闘士の孫に「親日の烙印」

[オピニオン]独立闘士の孫に「親日の烙印」

Posted June. 25, 2014 03:33,   

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抗日義兵団体「大韓独立団」に所属した文南奎(ムン・ナムギュ、?〜1921)氏は、1921年に平安北道朔州(ピョンアンプクト・サクチュ)で日本軍との戦闘で殉国した。大韓独立団は1919年の3・1運動直後、義兵運動家が抗日武装闘争を効果的に展開するために結成された。彼らは、日帝に奪われた主権を回復し、高宗(コジョン)皇帝時代に戻る復辟主義を唱えた。国内外に100余りの支部を置き、1923年まで国内と満州で国権を取り戻すために命をかけて戦った。

◆2010年、国家報勲処の専門史料発掘分析団は、1921年4月9日付の独立新聞の報道を根拠に、文南奎氏を独立活動家に選定した。同年11月17日、殉国先烈の日に李明博(イ・ミョンバク)大統領は、「大韓民国の自主独立と国家建設に尽くした功労が大きい」として文南奎氏に建国勲章愛国章を追叙した。この事実を国家報勲処ホームページに掲示し、以北5道委員会にも名簿を通知したが、子孫は現れなかった。勲章証は国家報勲処が保管している。

◆24日、首相候補を辞退した文昌克(ムン・チャングク)氏の除籍謄本に記載された祖父の名前が独立活動家の文南奎氏と漢字まで全く同じだ。文氏が22日に提出した除籍謄本を検討した国家報勲処は、戦死地域も平安北道朔州で文氏の祖父の原籍地と同じであり、同一人物だと判断した。文氏の亡くなった父、文ギソク氏(1914年生)が「7才の時に父親が亡くなった」と言っていたという。父親が証言する文氏の祖父の死亡年度と文南奎氏の殉国年度が1921年で一致する。

◆文氏は記者会見で、「3・1運動の時に万歳を叫んで亡くなったという家族史を父親から聞いて育った」と話した。大韓独立団メンバーの祖父の活躍を知らなかったようだ。38度線を越えた以北5道民の切ない家族史がうかがえる。国会人事聴聞会を控えてあたふたと祖父探しをしたが、普段から先祖のルーツを調べていなかったことは不覚だった。ともかく独立活動家の孫に「親日」のレッテルを貼り、首相候補の地位から引きずりおろした韓国社会の一部勢力を独立闘士・文南奎は何と言うだろうか。

崔永海(チェ・ヨンヘ)論説委員yhchoi65@donga.com