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ドイツ対ガーナ戦は2−2でドロ クローゼは同点ゴールでW杯通算15得点目

ドイツ対ガーナ戦は2−2でドロ クローゼは同点ゴールでW杯通算15得点目

Posted June. 23, 2014 03:24,   

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22日、ブラジル・フォルタレザのカステラン競技場で行われたG組第2戦のガーナ対ブラジル戦。ベンチ近くで気を揉んでいたドイツのヨアヒム・レーヴ監督(54)は、後半24分に大胆な交代カードを切った。1−0でリードしたが、ガーナのアンドレ・アイェウ(25=マルセイユ)とアサモア・ジャン(20=アルアイン)に立て続けにゴールを許して勝ち越されると、先制ゴールを入れた若手マリオ・ゲッツェ(22=バイエルン・ミュンヘン)を外してベテランのミロスラフ・クローゼ(36=タツィオ)を投入したのだ。

戦車軍団の長兄クローゼは、グラウンドに途中出場して2分後の後半26分、レーヴ監督の決定に応えるかのように、ゴールを決めた。左からトニ・クロース(24=ミュンヘン)が蹴ったCKがベネディクト・ヘヴェデス(26=シャルケ04)の頭に当たって流れると、ゴールエリアの右から攻め込んでは押し入れた。クローゼは、宙返りで喜びを表現し、選手たちとスタンドのサポーターたちは熱狂した。

クローゼのゴールは、ドイツの敗北を防いだのはもちろん、ブラジルの「新サッカー皇帝」ロナウドが持っているW杯本大会通算最多得点記録の15点に並ぶものだった。クローゼは2002年韓日大会で5得点、2006年ドイツ大会でも5得点(得点王)、2010年南アフリカ大会でも4得点した得点マシーンだ。これから彼が決めるゴールは、新しい歴史となり伝説となる。

クローゼは、純血主義を標ぼうするドイツチームでは「東ヨーロッパからの異邦人」だった。サッカー選手出身の父親とハンドボール代表を経験している母親から「アスリートDNA」を受け継いだクローゼは、1978年にポーランドで生れた。8才のときドイツへ移住し、二重国籍者として暮らした。2002年韓日大会を控えてポーランドのエンゲル監督に声を掛けられたが、2001年にドイツ代表のユニフォームを着て「ドイツ人」になった。

184センチの長身にパワーとジャンプ力を備えたクローゼは、各種大会で数多くのゴールを決め、ドイツチームに溶け込んだ。今月初めのアルメニアとの強化試合では国際Aマッチ通算69点目を決め、ドイツの英雄ゲルト・ミュラー(68点)が打ち立てたドイツ代表最多得点記録を塗り替えた彼は、この日通算70点目を記録した。

クローゼは「あのゴールは完璧だった。正直、最後にどうゴールを入れたかは覚えていない。だけど自分がやり遂げた。W杯20試合で15点という記録は決して悪くない。あとは米国との最終戦に集中しなければならない」と話した。レーヴ監督は「クローゼがいて幸せだった。グラウンドに入って2分後にゴールを入れた。彼のサッカー人生で一番嬉しい瞬間だろう。彼はいつでも決定的なゴールを決められる能力がある」と話した。ドイツは2−2で引き分け、1勝1分けとなった。

一方、ロナウドは同日、クローゼの得点について、ツイッターで「(W杯最多得点)クラブ入りを歓迎する。クローゼがどんなに幸せな気持ちかは想像できる。美しいW杯ではないか」とのコメントを書き込んだ。