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[オピニオン]コラムニスト文昌克氏の自己否定

[オピニオン]コラムニスト文昌克氏の自己否定

Posted June. 17, 2014 05:50,   

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新聞は論評から始まった。最初の新聞は一種の政治パンフレットだった。市民(ブルジョア)が新聞を読んでコーヒーハウス(英国)、サロン(フランス)、晩餐会(ドイツ)で討論したのが世論の始まりだ。近代から現代になり、再び新聞の中心が欧州から米国に移り、事実報道の機能が大きくなったが、論評は依然として新聞の本質として残っている。テレビとは違って新聞での論評が中心的な位置を占める理由だ。

◆首相に内定した文昌克(ムン・チャンクク)氏が、中央日報在職時代に書いたコラムについて謝罪し、ジャーナリスト自ら論評の自由を制限した。文氏は盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の自殺と関連して「公人としての行動は適切でなかった。その点が彼の葬儀手続きや今後の問題にも反映されなければならない」と書いたことに対して、「遺族と国民に不快な思いをさせて申し訳ない」と謝罪した。金大中(キム・デジュン)元大統領についても、「秘密資金造成と海外への資産移転疑惑が絶えず提起された」と書いたことに対して、「家族と金元大統領を愛するすべての人々に悲しい思いをさせたことは事実だ」と述べた。

◆論評が誤った事実に基づいていたなら謝罪しなければならない。しかし、盧元大統領の自殺は議論の対象にならない純然な論評の領域に属する。論評が宣伝や広報と違うのは、基本的に批判だからだ。本来、批判を受ける側はつらい。どの社会も自殺に好意的ではない。この場合は大統領の自殺だ。これを批判することは、韓国社会が容認できる範疇の論評であり、極めて正常な範疇の論評だ。

◆文氏が唯一、盧武鉉・金大中元大統領に関するコラムに対してだけ謝罪したことは新政治民主連合の親盧系と親金系を意識したジェスチャーと見える。しかし、コラムニストがコラムで謝罪すれば、コラムも謝罪も真正性が疑われることになる。人事聴聞特別委委員長に内定した朴智元(パク・チウォン)新政治連合議員は、「文氏はジャーナリストとしての自分の人生も否定している」と非難した。明確な意見で是非を論じたジャーナリストが様々な見解を調整する首相になる道は容易ではない。

宋平仁(ソン・ピョンイン)論説委 pisong@donga.com