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承認を通れば、記者出身の初首相

Posted June. 11, 2014 08:59,   

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文昌克(ムン・チャングク)首相候補は、国会承認を通れば、大韓民国憲政史上初の記者出身の首相になる。

ジャーナリスト出身の首相は、かつてもいた。東亜(トンア)日報社長出身で、1963年12月、第3共和国の初首相に任命された崔斗善(チェ・ドゥソン)元首相だ。しかし、崔元首相は記者は務まらなかった。02年8月、金大中(キム・デジュン)政権は、当時の張大煥(チャン・デファン)毎日(メイル)経済新聞社社長を首相に内定したが、国会での承認投票で否決され、任命されなかった。

文候補の内定を巡り、政界の一部からは、朴槿恵(パク・グンへ)大統領が父親の朴正熙(パク・ジョンヒ)元大統領の人使いのやりかたをベンチマークしたのではないか、という見方も出ている。朴元大統領が、自分に批判的だった崔元首相を、内閣初代首相に任命し、不利なメディア環境を打開しようとしたことを念頭に置いての見方だ。

崔元首相が東亜日報の社長を勤めていた時代、東亜日報は1961年の5・16軍事クーデターの翌日、「尹潽善(ユン・ボソン)大統領が、『革命政府は民間に速やかに政権を渡すべきだ』と話した」という内容の記事を掲載した。

「民政移譲」を約束した朴元大統領が、政権についたその翌年、軍政延長の発言をすると、これも同様に厳しく批判した。1962年10月の大統領選挙の際も、朴元大統領を批判する記事を書き記した。当時、東亜日報の記者だった李萬燮(イ・マンソプ)元国会議長は、「朴元大統領は当時、東亜日報に対し、露骨に不満を示したが、崔元首相の気概を高く評価し、首相にまで抜擢した」と述べた。

大統領府は、文候補が李明博(イ・ミョンバク)政権末期の11年4月、「朴槿恵、なぜMB権力を傷つけようとするのか」という内容で、朴大統領に対し、批判的なコラムを書いたことを強調したりもした。

しかし、文候補が、朴大統領と与党に対して、一貫して反対の立場を取ってきたとは言いづらいという指摘も出ている。全体的に、与党寄りの性向に近いという。野党側は、文候補が中央(チュンアン)日報の論説室長などを務めた当時、与党だったヨルリンウリ党(現在の新政治民主連合の前身)に批判的で、割合現在の与党には友好なコラムを多く書いたと見ている。

新政治連合の首都圏の再選議員は、「我々の立場からすれば、文候補はバランスの取れたジャーナリストとは受け止められない」とし、「朴大統領が、父親のように、政治的反対者を幅広く受け止める人の使い方に従っているとは言いづらいと」と話した。