Go to contents

7才の喪主、父親の遺体収容でようやく葬儀 セウォル号沈没事故

7才の喪主、父親の遺体収容でようやく葬儀 セウォル号沈没事故

Posted June. 09, 2014 08:54,   

한국어

8日、ソウル西大門区新村洞(ソデムンク・シンチョンドン)のセブランス病院の葬儀場。安置室には、父親、兄、母親の遺影が3つ並んでいた。入口にかけられた家族写真の母親と兄は、手をつないで笑っていた。喪主は7才のチョ・ヨセフ君(7)。葬儀場から借りた白いワイシャツはぶかぶかで、肩がずり落ちていた。ヨセフ君は、小学生のいとこの姉と弔問客の間を走り回っていた。朝、大人たちがスーツを着ると「結婚式に行くの」と聞いた。ヨセフ君は、両親と兄が「もっといい所」に行ったという大人たちの話を信じていた。

セウォル号沈没事故で亡くなった父親のチョ・チュンファン(44)、母親のチ・ヘジン(44)さん、兄のジファン君(11)の安置室は7日に設けられた。事故から53日が経過した。家族の中で最後まで遺体が見つからなかった父親が5日に発見され、はじめて家族が集まった。兄と母親の遺体は4月に発見され、全羅南道珍道(チョンラナムド・チンド)に運ばれ、これまでセブランス病院の霊安室に安置されていた。ヨセフ君の伯父のチ・ソンジンさん(47)は、「もし遺体が見つからなければ、妹と甥をいつまで冷たい霊安室に置いておくのか心配だった。発見され、感謝する」と話した。

事故当日、ヨセフ君の家族は済州島(チェジュド)に出張に行く父親について家族旅行に行くところだった。活発な性格のヨセフ君は朝ごはんを食べた後、1人で家族がいる船室を出て、甲板で遊んでいたことで死を免れた。

ヨセフ君は事故後、家族が暮らしていた富川(プチョン)を離れ、ソウルの伯父の家に行った。子ども病院で1ヵ月ほど入院して治療を受けた後、祖母が世話をしている。ヨセフ君はもう泣かないと言った。ソウルの学校に転校して4週間が経った。伯父はヨセフ君を忙しくさせようと好きな囲碁や水泳、合気道、学習塾に通わせた。時々夜に母親を探すと、伯母が「お母さんはすぐに来るよ」となだめた。おいしいものがあるとヨセフ君は「お母さんが好きなものだ」と言って食べずに残した。富川からヨセフ君に会いに来た前の学校の先生は、喜ぶヨセフ君を言葉なく抱きしめた。

安置室は静かだった。長く珍道にいた親戚たちは日焼けした顔で弔問客を迎えた。珍道で苦しみを分かち合った取材陣や公職者も安置室を訪れた。事故から2ヵ月間待った彼らは、家族を皆探せたことを感謝した。チさんは、「義理の弟が発見され、やっと珍道を離れることができた。ソウルに戻って金錫均(キム・ソクキュン)海洋警察庁長にこれまで感謝すると挨拶すると、庁長は『家族から感謝するという言葉を初めて聞いた』と涙を見せた」と話した。そして、「今は誰かを恨むよりも、妹家族を静かに送りたい。今ヨセフは死を理解できないが、時間が経てば徐々に分かるだろう」と話した。