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KBSは果たして必要なのか

Posted May. 27, 2014 09:11,   

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敏感であることも度を越せば病気だ。セウォル号犠牲者の数を交通事故の死者数と比較したKBS報道局長の発言を労組に「告発した」情報科学部の女性記者、報道局長が愚かだったのだが、私的な席での発言を擁護するどころか生け贄にして辞表を勧める社長、救助作業が進行中なので海洋警察への批判を自制してほしいという大統領府の要請を外圧と感じる報道局長、皆過度に敏感である点で同じだ。

このような態度は、KBSの会社の雰囲気、すなわち上が話をすれば何か不純な意図があるのではないかと疑ってみる雰囲気と無関係ではない。KBSがこのように殺伐としている理由が、歴代政権が言論掌握をしようとしたためなのか、あるいは労組の政権による飼い慣らしのためなのか、人によって意見は異なる。しかし、どちらを支持しようが一つ前提は共通である。KBSは以前からあり今後もなければならないという前提だ。しかし、KBSがなぜこのまま続かなければならないのか疑問だ。

公共放送の主要任務の一つは国家災害放送だ。KBSは国家災害主管放送局だ。しかし、今回のセウォル号惨事の災害報道で見たように、KBSがなくても誰も知る権利を保障されないと感じない。情報の質を見てもそうだ。KBSがあるからとより良い報道に接することができたわけでもなく、KBSがないからといって悪い報道に接することになるわけでもない。

KBSは過去の放送開拓時代に公共放送として放送産業を先導した。今日、KBSはもはやそのような役割を引き受ける必要も引き受ける能力もない。SBSなど地域の民間放送が始まり、多彩な分野の専門ケーブル放送が登場し、あらゆる分野を扱う総合編成チャネルも現れた。しかも、国民は次第にインターネットやモバイルでより多くの情報を得ている。KBSがなくても国民が不便になることはあまりない。むろん、なくても不便なことがないのはKBSだけではない。他の報道機関も同じだ。しかし、KBSは国民がテレビ受像機を持っているという理由だけで視聴料を払わなければならない唯一の放送局だ。

私は、国内にいた時はよく分からなかったが、海外で特派員を経験してKBSをもっとよく知ることができた。SBSでは経費節約のために特派員は取材記者だけだ。カメラマンは現地で雇用する。KBSは取材記者のほかにカメラマンも同行する。カメラマン1人の派遣で、年俸1億ウォンや住居費などを合わせれば1年で3億ウォンほどの費用がかかる。にもかかわらず、現地語を駆使する能力や現地での情報は年俸数千万ウォンのSBSカメラマンにはるかに及ばない。

監査院が昨年KBSの経営実態を調査した結果、1級以上の職員382人のうち補職のない人が10人に6人の割合でいた。1級の平均年俸は1億 1600万ウォンを上回る。億代の年俸を受け取りながら、審議室、ラジオセンター、送信所などに必要以上の人員が配置されている。このような非効率なKBSにも国民はきちんと視聴料を払っている。

私にも好きなKBSの番組がある。KBS第1FMのクラシック番組が好きで、KBSの受信料の一部で運営されるEBSの「韓国紀行」などの教養物も好きだ。しかし、「ギャグコンサート」のようなバラエティ番組をKBSでしなければならない理由はない。民間の領域でできることはすべて民間に譲らなければならない。そこまでして残されたもの、それが公共放送が引き受けるべき固有の領域だ。

公共放送のニュースはドライでなければならない。日本の公共放送NHKのニュースはつまらないほどドライだ。記者がくだらないことで敏感になり、ニュースをウェットに流すため、国民が共感できないポイントで激しい火花を散らして争うことになる。最近のKBSの内紛がそうだ。