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尹奉吉が義挙前に滞在した青島のクリーニング店を突き止めた

尹奉吉が義挙前に滞在した青島のクリーニング店を突き止めた

Posted February. 24, 2014 03:04,   

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梅軒・尹奉吉(ユン・ボンギル)義士(1908〜1932・写真)が、中国上海での義挙直前の1年間あまりを滞在していた青島の居住地が初めて確認された。青島は、尹義士が国外に亡命し、初めて定着したところであり、これまではっきりしていなかった中国での足取りを明らかにする決定的なきっかけを作った。

近代史ドキュメンタリー制作会社「ザ・チャンネル」のキム・グァンマンPD(59)は23日、「新たに発掘された史料を基に、尹義士が1930、31年に暮らしていた青島の『中原クリーニング店』の正確な位置を見つけた」と明らかにした。

キムPDは、日本国立国会図書館で、尹義士が暮らしていた居住地の商号や場所が記された1931年版「中国商工地図集成」などを史料を探し出した後、青島を訪れ、実際確認した。クリーニング店は現在、銀行が入っており、青島東北側の旧市街地で、遼寧路と臨濟路との交差する地点の大通り沿いにある。青島は、尹義士が独立運動に飛び込む決心を固め、中国にわたって初めて定着したところだ。独立運動史専門家の檀國(タングク)大学・歴史学科の韓詩俊(ハン・シジュン)教授は、「青島は、尹義士が身の回りを片付け、雄志を羽ばたかせる未来を準備したところだ」とし、「韓民族の独立運動の歴史においても、大変重要なパズルのひとかけらを、いよいよ探し出したのだ」と評した。

今回の調査結果は、これまで尹義士の義挙において、最大の疑問として残っていた「弁当爆弾を投げた場所」といわれている虹口公園への進入過程を推定できる根拠を提供している。青島での生活が実際に確認されたことを受け、尹義士が、日本人が経営するクリーニング屋の主人の歓心を得て、会場に入ったという愛国の志士・李圭昌(イ・ギュチャン、1913〜2005)の主張が力を得ることになった。