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「書く、だから私は存在する」 20歳の小意気な人生論

「書く、だから私は存在する」 20歳の小意気な人生論

Posted December. 07, 2013 06:32,   

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「リゾム、私の人生、私の文章」(ブックドラマン)を書いたキム・へワン著者は、最初から人々を続けざまに驚かせている。高校中退の中卒のフリーターが、人文批評所を書いたということから、しっくり来ない。さらに、気難しさで悪名の高い哲学者・ジル・ドロワーズやフェリックス・ガタリの「千の高原」の説明書だなんて。4日、ソウル光化門(クァンファムン)で会ってからは、さらに驚かされた。1993年生まれの20歳。誕生日が数日後だというから、あえて言えば、まだ19歳の子供っぽい女性だった。

「正直に、物足りない気がします。もっと気楽に書き記すべきだったのに、文がでこぼこしてますね。まだ、実っていないせいですよ。同年代に伝えたいメッセージを盛り込んでいるが、あまりにも難しく書きました」

ぎくりとした。同年代はともかく、40歳を過ぎている記者も、読む途中、頭を抱えた。功力が弱く、文が難解なものになってしまった?長老の学者から聞かされる言葉を、「子供」から聞かされることになるとは。その上、このませた言葉遣いとは、いったいなんだろうか。

「中3の時、しばらくブログを運営したことがありますよ。思春期だったでしょうか、人間関係にまつわる悩みについてよく掲載しました。ところが、似通った範疇から離れませんでした。書く言葉も限られていたし…。何かを伝える能力が足りないことに気付きました。きちんと文を書きたいという欲望が、勉強に集中する原動力になりました」

しかし、彼女が選んだ勉強は、他人とは違った。「また、別の拘束が存在する」代案学校を、高校1年生の時に辞め、08年、研究共同体「スユ+ノモ」に入った。今は、その集いから分かれた「ナムサンガン学院」の研究員となっている。「大学入試は、考える暇すらなかった」というほど、取り付かれたように読み書きし、討論した。

「リゾム…」は、その激しかった5年間に、一つのピリオドを打つ作業だった。彼女に最も大きな衝撃や指針を与えた本は、ほかならぬ「千の高原」だったから。ドロワーズやガタリは、哲学を「道具に使ってほしい」と訴えた。著者は、その人文学的概念を使って、人生と世間に遭遇する未知を探したかった。

「10代は、誰もが未来について心配します。しかし、『千オ高原』は語っています。自分を表皮に決め付けず、日常の深層に気付くべきだと。なによりも、『生きることは書くこと』だと諭されました。書くことは、自分の人生を作っていく過程だと思います。自分にとって、この本はうっすらな不安をなだめ、一歩踏み出す力を与える媒体でした」

読む楽しさに打ち込んだ幼い学者に、推薦図書について尋ねたのが間違いだった。ミシェル・プーコの「性の歴史」は、頑丈な命題で、自分自身を変化させることができるという信念を与えたという。ニーチェや魯迅の文章は、自分を卑下したり、憐憫に陥らないよう手助けし、司馬遷の「史記」は、時代や人間をどう、眺めるべきかについて知らせた。フランスの歴史学者・エマニュエル・ルロア・ラデュリの中世のマクロ歴史「モンタイユー」や、ペルーの小説家・マリオ・バルガス・リョサの「世界終末戦争」も最高だという。もっとやさしい本はないのか。

「アルベール・カミュの『異邦人』はどうですか?最後に出てくるムルソーの一喝に無我夢中で嵌っちゃいました。『私の人生と、迫ってくるこの死への確信がある。そう、私はこれしかない』。実存の悩みは、ほかの人の判断や基準が、私の人生を保障してくれないことを気付かせますよ。人間は、固定した名前ではなく、一つのたびそのものだから…」。

負けた。記者も読んだのは読んだが、果たして同じ本かな。やや気まずくなった。とりあえず、「リゾム…」から再び読まなければ。この「アンパンテリブル(怖い子)」はどこに向かって進むだろうか。期待が膨らんでくる。ただ、青年学徒よ、過度にスピードを出すな。急げば、早く疲れるから。