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[オピニオン]ブレナン神父

Posted September. 05, 2012 06:49,   

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ニュージーランド出身の25歳の青年が韓国に来たのは1966年春のことだった。その時から古希を越えた今まで、氏はこの地の最も低いところにいながら、貧しくて疎外された人たちの隣人として半世紀近くを生きてきた。江原道(カンウォンド)の炭鉱村で10年間を送った後、ソウルの再開発現場やスラム街などを転々しながら、献身してきた氏の旅情は、「病んでいる人、悲しむ人、おなかをすかしている人の涙を拭いてあげなければならない」という信念を実践することだった。人々が彼を、「貧しい人たちのゴッドファーザー」、「貧者の灯火」と呼んだ所以でもある。韓国名はアン・グァングン。彼はほかならぬ、ロバート・ジョン・ブレンアン神父だ。

◆昨日、ソウル市の福祉賞グランプリを受賞した氏は、カトリック・江原道旌善(チョンソン)本堂の主任神父に赴任したあと、1972年、住民30人余りと一緒に、旌善市民協同組合を立ち上げた。同組合は現在、400億ウォンの資産を抱えるほど拡大した。地域病院のない旌善郡民のため、1975年、セントフランシスコ医院も開いた。1981年、ソウルに引っ越した後、江北区(カンブクク)のスラム街で暮らしながら、再開発地域の住民のための臨時移住団地の建設を引き出すなど、低所得層の住居福祉や雇用創出、小口融資活動を行っている。再開発のため、借家から3度も追い出された。氏は、「残りの人生もここで送りながら、皆が一緒に幸せに暮らす世の中を作りたい」と話した。

◆40数年間、小鹿島(ソロクド)でハンセン病患者の世話をし、7年前、「歳を取り、きちんと働くことができず、人の世話になる前に離れる」という手紙を残し、忽然と故郷に帰っていった外国人修道女たちもいる。住民たちから、「大おばあさん、大叔母さん」と呼ばれていたオーストリア出身のマリアン修道女とマガレイト修道女だ。彼女たちは手袋もつけず、患者たちの傷口に薬を塗り、海外医療チームを招いて手術を斡旋し、ハンセン人の子供の世話をする乳幼児園を経営するなど、患者たちを愛を持って世話し、静かに離れていった。

◆15年前の今日、「最も貧しい人たちの母親」と呼ばれていたテレサ修道女が、インドのカルカッターでこの世を去った。貧しくて病気の人たちの世話をするのに生涯を捧げたテレサ修道女はこう語った。「我々は偉大な仕事はできません。我々はただ、偉大な愛を持って、小さなことができるだけです」。社会の底で疎外された人たちのためにもくもくと愛を実践する人たちがいるからこそ、この世界はまだ、希望が残っている。

高美錫(コ・ミソク)論説委員 mskoh119@donga.com