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偶像を追いかけた少年が「黄色偶像」に

Posted September. 27, 2006 07:09,   

世界のトップにはどこか違うところがあるんだろうか。もちろんあった。しかし、世界のトップアスリートの口にする「世界のトップになること」は、あまりにも簡単だった。

アジア選手では史上初めて、陸上短距離男子100mハードルで、世界記録(12秒88)を立てた「黄色い弾丸」劉翔(23・中国・写真)。

28日に開かれる06大邱(テグ)国際陸上競技大会に参加するため韓国を訪れた劉翔に、大邱インターブルゴホテルで会った。ハンサムな容貌にすばらしい体格(189cm、86kg)で、「黄色人種の限界」を飛び越えて世界を征腹し、ワールドスターとして浮上した彼は、大邱でも次から次へとファンからサイン攻勢を受けるスターだった。トラックでは鋭い目つきだが、日常ではソフトな視線で人々をとらえていた。

13歳の時、高跳びで陸上に入門した劉翔は16歳の時、今の孫海平(52)監督に出会い、ハードルに転向した。背が高いうえスピードも速く、高跳びよりもハードルに、より大きな可能性を見出したのだ。

「幼い頃、エロン・ジョンソン(35・米国)を英雄にした。ハードルを越えるときのスピードがあまりにも速くて驚いた。その英雄のようになるため、一生懸命努力した。結局、今は私のほうが速い。」

劉翔は、1996アトランタ五輪の金メダルリストで12秒92の最高記録を持っているジョンソンを目標にした。そして、孫海平監督の指導を受け、スピード向上とハードリング(ハードルを越える技術)改善のために努力した。

結局、劉翔は、ジュニア時代の02年ローザン・グランプリ大会に出場し、13秒12を記録、世界ジュニアおよびアジア記録を打ち立てて優勝し、世界の舞台に登場した。そして、04年5月の大阪大会では13秒06を記録し、自らの英雄ジョンソンを圧して優勝し、とうとう04アテネ五輪では、12秒91の世界タイ記録で優勝し、世界のトップに立った。非米国人で「13秒」の壁を超えた最初の選手で、劉翔は一躍ワールドスターとなった。今年7月12日、ローザンヌ国際陸上競技連盟(IAAF)スーパーグランプリ大会では、世界記録を12秒88まで縮めた。

劉翔は、自分が今日まで成長できたのは、孫海平監督の指導力のおかげだと言う。孫海平監督は、「可能性のある劉翔がいて、記録のカギであるスピードとハードリングに集中投資したらいい結果が出た」と言った。劉翔の目標は、世界記録の更新だ。そして、08北京五輪で2連覇することだ。

韓国は陸上後進国。特に、短距離は世界の壁と大きな差がある。110mハードルの場合、韓国記録(13秒71・朴テギョン)は劉翔と0.83秒も差がある。

劉翔が韓国陸上に与えるアドバイスは簡単だった。「いい選手といい監督、そして科学的なトレーニング方法という3拍子に努力が加われば、韓国も遠からず、世界レベルに跳躍できるはずだ。それに、ライバルの存在も重要だ」と話した。

劉翔は28日、世界の舞台で、今もときどき首位を奪ったり奪われたりしている自らの英雄ジョンソンとのライバル対決に臨む。



yjongk@donga.com