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[社説] 李榮薫教授の「学問的勇気」に場を与えなければ

[社説] 李榮薫教授の「学問的勇気」に場を与えなければ

Posted April. 28, 2005 23:18,   

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ソウル大学の李榮薫(イ・ヨンフン)経済学部教授は今日、ある学術大会で、「中・高校社会教科書に描かれた韓国経済の姿」という論文を発表する。大半の教科書が誤った統計を基に、韓国経済「漢江(ハンガン)の奇跡」を過度に批判しているという要旨だ。彼は、誤った記述の例として、「韓国経済は、低賃金労働者や中小企業の犠牲の上で成長した」や、「1960年代から約30年間、階層間の所得格差がひどくなった」という内容をあげた。李教授はこのような内容が事実と違うことを、実証的な研究結果で明らかにする。

李教授は数日前、「北朝鮮外交官と韓国の教科書がはまる虚数のわな」という論文では、韓国の教科書の日本軍慰安婦や強制動員者の数が膨らまされていると指摘した。

李教授の研究結果の公開は、「絶対悪」と公認されたように、日帝や開発独裁、当然のこととして受け止められてきた一般常識、権威の象徴である教科書の3大金城鉄壁に一度に挑戦状を突きつけたようなものだ。学問的な勇気がなければ難しいことである。

われわれは、李教授の肩を持とうというのではない。ただ、感性や宣伝ではない知的探求が自由に成立し、公論の場で論議される社会の風土が形成されなければならないという点を指摘するのである。李教授のような人にも、発言の場を与えられなければならないという話である。事実は神聖であり、解釈や評価よりも優先される。にもかかわらず、既存の解釈や評価を押し立て、事実に対する疑問の提起すら源泉封鎖するムードが社会に蔓延している。このような中では、学問が発展することはできない。

日本軍慰安婦は動かない日帝の犯罪行為である。しかし、日本軍慰安婦が何人だったのかということは、事実に関する問題だ。しかし、数字に異議を唱えれば、「慰安婦はなかった」という日本の主張に同調するかのように攻め立てる。朴正煕(パク・チョンヒ)時代には、人権弾圧が多かった。だからといって経済発展まで否定することは正しくない。日本の歪曲教科書を批判するなら、われわれも事実と真実の基盤の上に立たなければならない。少なくとも、学問の世界では「孤独な闘い」という言葉が無くならなければならない。