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「ヒューマニスト」社会悪を風刺

Posted May. 07, 2001 19:13,   

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「ヒューマニスト」は、シナリオライター、ポップコラムニスト、テレビレポーターと、多方面に渡るエンターテインメント分野で活躍してきた、イ・ムヨン監督のデビュー作である。

この映画は、同氏が監督・脚本・音楽・演技など1人4役をこなしており、従来の韓国の商業映画のコード枠から、明らかに一歩はみ出している。

ストーリーは、新聞の社会面を飾ってきた邪悪なニュースを集大成しているかのようだ。退役した将軍家で裕福に育った息子のマテオ(アン・ジェモ扮)は、秀麗な容貌と何不自由ない家庭環境の中で成長したが、大金を手に入れるために、友人を誘って父親を拉致する犯行を企てる。ところが、事はとんでもない方向に発展し、彼らの計画は水の泡となってしまう。

監督は、このようなストーリーを、彼独特の風刺的なスタイルで展開しながら、奇想天外の方法で人物を描いていく。

幼いころから、カネの持つ政治・社会的魔力を骨の髄まで知り尽くしているマテオは、兵役を免れるためにありとあらゆる不正を働く。飲酒運転で警官を殺していながらも、カネで解決できると信じる人物である。

カネのためにマテオの友達になったユグレナ(カン・ソンジン扮)とアメーバー(パク・サンミョン扮)は、現代人の代表的なコンプレックスを表現する。インポテンツのユグレナが性的不具者であるとすれば、脳を病んだアメーバーは、知的不具者である。

権力欲に執着するユグレナは、絶えずマテオに対する裏切りを夢見る反面、気の弱いアメーバーは、自らの欲望を満たしてくれるマテオに盲従する。

俄成金の典型と言えるマテオの父(パク・ヨンギュ扮)は、映画の中で軍隊と警察に代表される暴力的権威主義の象徴とされ、浮気をする継母は、その権威主義に寄生する淫乱性を象徴する。

映画の中でもう一つ見逃せないのは、「猟奇」という文化コードである。警察に殴打され、傷口が腫れ上がったアメーバーは糞尿を3杯も飲み、うじ虫が沸く足を引きずりながら突如と登場する物乞い(キム・ミョンス扮)は、「短い人生を無意味に沐浴で無駄使いするのは罪悪だ」と、説教交じりに並べ立てる。

まるで綺麗好きのごとく装っているが、その内面は、膿だらけで悪臭を漂わせる現代人の姿に対する一種の嘲りなのだ。

監督は、自分もまたその批判から自由ではいられないという意味だろうか。映画の中で記者を演じた監督は、豚小屋の中で自らの首を吊ることでエンディングを結んでいる。

この映画の醍醐味は、巧みな選曲にある。「畑を耕す豚」などインディーバンドのオオブバンドの歌を中心に、故・チェ・ムリョン氏の「一本橋」、二ック・ケーブ・アンド・ザ・バッドシーズの「Death Is Not the End」、ステレオMCの「Connected」に至るまで、韓国歌謡、ポップス、ラップを自在に取り込んだ映画音楽は、近来の韓国映画の中でも最高のOSTという賛辞が惜しくないほどだ。12日封切り、18才以上が観覧できる。



クォン・ジェヒョン confetti@donga.com