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天才の傲慢

Posted February. 19, 2019 08:28,   

Updated February. 19, 2019 08:28

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米国の南北戦争の初期、北軍司令官に任命されたジョージ・マクレランは、明晰で天才的な将校だった。1846年、米・メキシコ戦争に少尉として参戦した。この戦争には、将来南北戦争の主役たちがこぞって参戦した。北軍勝利の主役であるグラントもいた。最高年長者は、後日、南部の英雄になるロバート・リー少佐で、米・メキシコ戦争時も最高殊勲を立てた。

リーの活躍に隠れたが、マクレランも誰もが認めるほどの功労を立てた。彼は、最高の参謀で、軍事行政家だった。リーが偵察将校として軍隊の前線でメキシコ軍の進撃路を予測し、米軍の進撃路と戦闘地点を決める役割をしたなら、マクレランは本部の状況板の前で大活躍した。

南北戦争が始まった時、予想とは異なり、北軍が初戦に敗北し、ワシントンが恐怖に包まれた。この時登場したマクレランは、組織力と行政力で一気に大軍を徴集し、彼らを訓練させた。彼は、自ら自分の能力に鼓舞され、これを基に大統領の座を狙う。彼は、軍経験のないリンカーンには、この未曾有の戦争を任せることはできないと見て、自分が大統領になるべきだと考えた。

自分の能力を証明するために、1862年、彼は挑戦に踏み切る。海と陸で大兵力を投入して、バージニア州にある南部軍の主力を迂回して、州都リッチモンドを陥落させる作戦だった。当時としてはまれで、試されたことのないスケールの作戦だった。12万の大軍を進軍させるために、蒸気船と鉄道、数万頭の馬とラバが動員された。

問題は、マクレランの天才性が及ばないところで発生した。北軍の指揮官たちの野戦能力だ。リンカーンの牽制のためだという説もあるが、北軍指揮官たちの野戦能力が落ちていた。武器が良くても、弾薬がなければ戦うことができず、弾薬が十分でも砲兵能力が落ちれば効果がない。彼は、自分の天才性でカバーできない領域があることを知らなかった。彼は、リンカーンを追い出して大統領になったら、成功しただろうか。指導者に必要なのは、天才性ではなく、限界を認め、判断と固執をリセットすることを知る能力だ。


李恩澤 nabi@donga.com