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「いつまでも平安でありますように…」 秋史が妻宛に書いた「最高敬語」の手紙

「いつまでも平安でありますように…」 秋史が妻宛に書いた「最高敬語」の手紙

Posted February. 29, 2020 07:51,   

Updated February. 29, 2020 07:51

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「この前の人便りに書かれた手紙を見て心強く思っております。その間に人便りがたまにござるものの、字を書くのが非常に難しくてできませんでしたので、罪が多いと思います。さぞかし攻めておられるでしょう…。戶房が行くので、忙しくこれをもって終えます。ずっと平安でありますように祈ります」

ソウルにいる32歳の秋史金正喜(キム・ジョンヒ、1786〜1856)が1818年4月、大邱(テグ)の家族に書いたハングルの手紙だ。返信ができなかったので、「罪が多い」と自責するのを見れば、受信者は父親や母親だったのだろうか。それがなんと受信者は、妻の禮安(イェアン)李氏だ。金正喜は妻に常に尊称で手紙を書いた。秋史の父・金魯敬(キム・ノギョン、1766〜1837)も同じだった。

秋史家のハングル手紙85通を、現代語に移して解説した本である。これらの手紙は、朝鮮で男尊女卑思想が激しく、家事は女性の専有物だったという通念を破る。秋史家の男性たちは、家事や奴婢管理、祭祀や婚姻などの多くのことをこなしたことが、複数の手紙から分かる。男性たちは、衣服や食べ物についてよく知っており、布や総菜のことについて手助けし、直接家事をこなしたりもした。

金魯敬は、このようなきめ細かな手紙も書いた。「先日、チャンニョン(次男の金命喜)の誕生日に餃子を作って食べたが、そばは墨を入れたようで、チムチェ(キムチ)がおらず、まともにできなかったので、これから人便りにそば粉を少し得て送り、そばの作り方を知らせてもらえば、再び作ってみたいと思うが、うまくできるかどうか分からない。高菜と干し白菜を昨年もたくさん送ってもらって冬を過ごしたので、今年も少し余裕をもって送ってもらいたい」

男は、水仕事に関わらないというタブーは、全くないように見える。結婚した娘がよく実家に行くなど、親しくしていたことも確認できる。

高麗(コリョ)大学文化創意学部の客員教授として歴史の中の疎外階層の素材に関する本を主に書いてきた著者は、「朝鮮後期の男性は、女性と協力して様々な家事を日常的にこなした」とし、「権力の享受者というよりは、家の代表者の役割をしたと思う」と語った。


趙鍾燁 jjj@donga.com