Go to contents

闘志と盲目

Posted February. 04, 2020 08:22,   

Updated February. 04, 2020 08:22

한국어

ジョゼフ・ジョフルは、第1次世界大戦でフランス軍総司令官を務めた。フランスの将軍の大半がそうだったように、ジョフルは権威的で頑固だった。開戦初期、ジョフルはドイツのシュリーフェン計画を予測できなかった。ベルギーを迂回してパリに進軍するのがドイツの計画のようだという前線からの戦況方向を無視し、パリを陥落直前の状態に至らしめた。しかし度重なる失敗と敗戦にもかかわらず、ジョフルは闘志を失わなかった。ジョフルの運転手はカーレーサー出身で、混乱したパリ市内で稲妻のように車を運転した。ジョフルは最後の瞬間に劇的に、ドイツ軍の失敗で、マルヌ川戦闘でシュリーフェン計画を挫折させる奇跡を成し遂げた。

ドイツ軍の失敗がなかったなら、マルヌ川の奇跡はなかったと言う人もいるが、失敗なく戦争をすることはできない。敵の失敗を誘導するのも戦術の基本だ。自分がいくらすばらしい戦術を立てても、敵が強く頑強なら、簡単に勝利できない。多少予測できない戦術を使う理由は、敵を当惑させ、判断を揺さぶるためだ。不可能だと思った状況でも、強靭に抵抗しなければならないのは、敵の意図や作戦の時刻表を妨害することで、敵の誤った判断と失敗を誘導するためだ。

夷陵の戦いで劉備 は揚子江に沿って西進し、陸遜の遅延戦略に巻き込まれた。前線が崩れ、補給が難しくなり、蜀軍が使用できる戦術は明らかだった。追い込んで相手が選択できる場合の数を制限し、決定的な瞬間を狙うのが陸遜の戦略だった。夷陵の戦いは、蜀の運命をかけた戦闘で、劉備の闘志は確固不動だった。しかしその闘志が硬直した判断を生んだ。回答はないが教訓は明白だ。戦争で闘志とは盲目的な意志ではなく、「正確な判断」という突破口に向かって奮闘する行為だ。時々人は盲目を闘志と勘違いして、不足した能力を闘志で覆おうとする。それはより大きな破滅を生む。現場まで無視する部屋の隅の闘志はもっと危険だ。

歴史学者