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龍珠寺三世佛會図は正祖時代の金弘道チームの作品、 姜寬植・漢城大学教授が新説

龍珠寺三世佛會図は正祖時代の金弘道チームの作品、 姜寬植・漢城大学教授が新説

Posted January. 14, 2020 07:59,   

Updated January. 14, 2020 07:59

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立体的な仏と菩薩の姿が、ルネサンス時代の欧州の聖画のように見えたりする京畿華城市龍珠寺(キョンギ・ファソンシ・ヨンジュサ)大雄殿の後佛幀。洋画の技法が利用されて、20世紀初めの作品だという解釈も出てきたが、ユニークな幀画は、1790年に檀園金弘道(キム・ホンド、1745~?)などの図画署の画員たちが主導して描いた宮廷絵画の傑作だという分析が出た。

姜寬植(カン・グァンシク)漢城(ハンソン)大学芸術学部教授は、国立中央博物館が発刊する学術誌「美術資料」の最新号に掲載した論文で、「龍珠寺三世佛會図は、金弘道、李命基(イ・ミョンギ)、金得臣(キム・ドゥクシン)などの宮中画員と王室に近い画僧が一緒に、正祖(1752~1800)時代に発達した洋画法を全面的に駆使して、佛畵史上に類のない新しい様式を創造したのだ」と明らかにした。

龍珠寺は、正祖が父親思悼(サド)世子の墓である顯隆園(ヒョンリュンウォン)を華城に移した後、冥福を祈るために建てた寺院だ。三世如來體幀とも呼ばれるこの幀画は、画家などを記録した画記がないせいで、制作時期を巡って議論が続いた。姜教授は論文で、「主上殿下(正祖)寿万歳、慈宮邸下(恵慶宮洪氏)寿万歳、王妃殿下(孝懿王后)寿万歳、王世子邸下(後の純祖)寿万歳」と書かれた絵の中央の祝願文に注目した。姜教授は、「位階上、下である慈宮を王妃の前に書いたのは、正祖が生前指示したので可能だったことだ」と明らかにした。また姜教授は、この仏画を赤外線で撮影した結果、祝願文は元々「主上王妃世子」の長寿を祈願したが、これを覆った後、書き直したことが分かった。完成翌年である1791年1月に龍珠寺に立ち寄った正祖が、祝願文を見て、自分の母親を入れるように指示した可能性が高いというのが姜教授の見解だ。

1800年までは、純祖は世子冊封前の元子身分だったので、制作時期はその後だという反論もある。しかし、論文は「『韓国の仏画』(全40冊)が収録された朝鮮仏画の祝願文を全数調査した結果、18世紀は世子の存在如何とは関係無く、儀礼的に主上王妃世子を祝願文に入れた」と説明した。1825年、龍珠寺住職・等雲(トゥンウン)は「龍珠寺事蹟記」に、この絵を金弘道が描いたと書いた。水原(スウォン)府官庁の記録にも、正祖が金弘道などを監董に任命して、仏画を描くことを管理するようにしたと出ている。監董は、監督であるだけでなく、絵を描くこともできる職だという。


趙鍾燁 jjj@donga.com