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うさぎの小便

Posted November. 30, 2022 08:53,   

Updated November. 30, 2022 08:53

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芸術は経験の産物という言葉がある。例えば、ドストエフスキーの偉大な小説は、シベリア流刑という経験の産物であるという論理だ。しかし、それは正しいのだろうか。韓国が生んだ偉大な作曲家、尹伊桑(ユン・イサン)は、そのような一般化がどれほど残酷な言葉であるかを証言する。

拉致され拷問された経験が「芸術をより広い次元に導いた」と思わないかと質問され、「芸術はそのような経験があってもなくてもそれとは独立したもの」と答えた。質問者であるドイツの小説家、ルイーゼ・リンザーは、ナチスに対する抵抗活動のために牢獄に閉じ込められた経験があった。その経験は、それがなければ決して見ることのない世界を体験させ、彼女の小説を豊かにした。辛いが大切な経験だった。それで尹伊桑にそのような質問をしたのだ。さらに尹伊桑は獄中で、「蝶の未亡人」というオペラを作曲し、後にはチェロ協奏曲まで作曲した。リンザーには極めて常識的な質問だった。

しかし、尹伊桑はそうではないと言う。彼は以前、韓国人が民間療法で作ったうさぎの小便の薬に関する例え話を挙げた。小便を得るには、「ウサギをブリキのふたのある箱に入れ、その上を叩く。するとうさぎは驚き、小便をする。私は音楽を引き出すために閉じ込められたうさぎですか」

予想外の答えだった。リンザーは、彼が書いた死と対面するチェロ協奏曲は、獄中で死と対面した経験がなければ書けなかっただろうと言った。しかし、彼の答えは揺らぐことがなかった。「それなら私は別の曲を書いたでしょう」。辛い経験はしないほうがよく、自分は「箱の中のうさぎ」ではないという言葉だった。彼の言葉は、内面の傷が出す音だった。今でも「尋問され、拷問を受け、監視される恐ろしい夢」を見るようにする傷の声。芸術が経験の産物という一般化は、誰かにはこのように残酷な言葉になる。たとえそれが正しい言葉であっても。