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神話になった悲運のカップル

Posted January. 20, 2022 08:25,   

Updated January. 20, 2022 08:25

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アメデオ・モディリアーニは首が長く瞳のない女性の絵で有名だ。この肖像画の女性も、とりわけ顔と首が長い。木の椅子にななめに座ったモデルは、彼の妻、ジャンヌ・エビュテルヌ。瞳のない青い目のためか。無気力で憂鬱そうだ。画家は妻をなぜこのような姿で描いたのか。

イタリア生まれのモディリアーニがパリに来たのは1906年だった。1日に100点をスケッチするほど多作だが、1917年まで作品が売れたことがなく、いつも貧しかった。ボヘミアンの暮らしを追求したモディリアーニは、酒と麻薬でやつれた姿を意図的に演出した。おそらく子どもの頃から患っている結核を隠すためだったようだ。健康悪化で肉体的苦痛が激しくなればなるほど酒と薬品に依存した。それでも、ハンサムな容姿のおかげで女性に人気があり、多くの女性と浮き名を流した。

モディリアーニが本当の愛に出会って落ち着いたのは1917年の春だった。33歳の画家は19歳の芸術学徒だったエビュテルヌに会って恋におちた。保守的なブルジョアだったエビュテルヌの両親は結婚に反対したが、娘は愛を選択した。1918年春、2人は暖かいニースに向かった。作品は相変らず売れなかったが、同年11月、第一子となる娘を得た。ニースで描いた肖像画の妻のお腹が少し出ていることから、妊娠初期のようだ。愛を選んだものの、貧しい現実はとても苛酷だったことだろう。妊婦妻の疲れと無能な家長の憂鬱さが反映されているようだ。

1920年1月24日、モディリアーニは35歳で結核性脳膜炎によりこの世を去った。夫が死んだ翌日、エビュテルヌは実家の5階の窓の外に身を投じた。お腹には8ヵ月になった第2子がいた。死も引き裂くことのできない愛だった。生涯、貧困と病気に苦しみ、悲劇的な最期を迎えたモディリアーニは、死後に名声を得た。悲運のカップルは後年、フィンセント・ファン・ゴッホに次ぐ神話的な人物になった。

美術評論家