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故郷と家

Posted December. 01, 2021 08:24,   

Updated December. 01, 2021 08:24

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故郷は、私たちの懐かしさが向かう所だ。それはジャック・デリダによると、「祖先たちが埋葬されている土地」または「すべての旅とすべての距離を、そこから見計らう不動の場所」だ。見知らぬ土地に住んでいた人々が死ぬ時、故郷に葬られることを願うのはそのためだ。ところが先週、第1回富川(プチョン)ディアスポラ文学賞受賞のため韓国を訪れた米作家ハ・ジンは、故郷をそうは思わない。彼によると、故郷は人間が根を下ろして暮らす所だ。置いてきたところではなく、どこかで再び作る流動的なものだ。

彼の人生を思えばその通りだ。米国に留学中だった氏は、1989年の天安門大虐殺の状況をテレビで見て亡命を選んだ。そして中国を背景にした作品を英語で書き、全米図書賞を受賞するほどの有名作家となった。中国政府は彼に裏切り者の烙印を押し、数十年間、入国を許さなかった。しかし、氏は裏切りの主体は自分ではなく、罪のない若者を虐殺した国家だと考えた。中国は、保護しなければならない「子どもたちを捕食した母」だった。彼にとって、中国が故郷ではなくなった理由だ。

しかし、彼の心理的現実は違う。彼は、米国は家だと言うが、中国に繰り返し戻る。中国人や中国人移民者を小説に毎回登場させるのも、心理的、隠喩的な意味で見れば、帰郷も同然だからだ。彼はアイデンティティがすでに確立した30歳の頃に故郷を離れたから、なおさらなのかもしれない。氏の言葉とは違って、米国が本当の故郷、本当の家になることはほとんど不可能に見える。

彼は、韓国に来たにもかかわらず、数時間で行ける故郷に帰ることができず、彼の家のある米国に寂しく帰った。確かにこの36年間、そのように生きてきた。両親がこの世を去った時も、故郷に帰って哀悼することさえできなかった。過酷な刑罰だった。そんな実存が、彼をディアスポラ作家にした。彼が書いた詩と小説の周辺に傷がちらつく理由だ。