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苛酷な他国での暮らし…詞が救いだった

Posted May. 08, 2021 08:08,   

Updated May. 08, 2021 08:08

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1966年夏、空軍の軍医官だった著者は除隊を前に、在京文人の韓日会談反対署名に参加したという理由で空軍本部の広場で逮捕され、「二度と故国の地を踏まない」という誓約書にサインして米国に行かなければならなかった。米国での暮らしは出口のない監獄だった。毎日、新しい生命を授かり、死んでいく患者を見送った。検死解剖に参加し、昨日まで笑って話をした友人の体が傷つけられるのを見なければならなかった。苛酷な修練時代、彼は時々詩を書き、休日には近くの美術館や博物館を訪れた。郷愁と孤独に耐える唯一の救いは、母国語で書く詩と芸術だけだった。

 

韓国の代表的詩人で、多くの人に愛された著者マ・ジョンギが人生を振り返った散文集を出した。詩的感性を刺激した多くの作品と人生の省察、故国を懐かしむ思い、愛する人との別れも扱った。延世(ヨンセ)大学医学部とソウル大学大学院を卒業し、米国に渡ってオハイオ州立大学病院での研修医を経て体験した感情の揺れも感じられる。

フリーダ・カーロの絵、ディエゴ・リベラの壁画、オランダ・アムステルダムにあるファン・ゴッホ美術館の第1室に展示された同じ大きさの25点の自画像、英国の美術館「テート・モダン」で見たロダンの彫刻「接吻」、グスタフ・クリムトの妖艶な女性まで。自身を圧倒した芸術家は誰で、彼らの作品は何だったのか詳しく話を展開する。彼は、「作家の言葉」で、「若くして故国を離れ、深い孤独を慰め、力になり友人になったすべての芸術や読書や旅行を親しい人に話すように、順序も曲折も理由もなく書き綴ったのが同書」と書いた。

韓国では経験できなかったオペラ文化、ノーベル文学賞を受賞した小説家、川端康成との縁をはじめ芸術的に交流した人々との対話、文学作品や医学常識、米現代詞の秘密、そして世界各地を見て回って感動をまとめた内容も興味深い。


金哉希 jetti@donga.com