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大義のための犠牲

Posted February. 25, 2021 08:10,   

Updated February. 25, 2021 08:10

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すべての芸術は政治的だ。芸術作品には創作者が生きた時代の状況と苦悩がどのような形であれ含まれるほかないためだ。美術史でジャック=ルイ・ダヴィッドほど政治的な絵を描いた画家がいるだろうか。ダヴィッドは、フランス革命が起こった1789年、政治的大義のために子どもを犠牲にしたブルータスの話を描き、サロンに展示して大きな反響を呼んだ。

ブルータスは紀元前509年、武装蜂起した独裁者を追放し、ローマ共和国を創始した人物だ。王位を奪われたタルクィニウス・スペルブスは、王政復古のために貴族の子弟らと手を握って反乱を図ったが、ブルータスの2人の息子もこれに加わった。反乱の陰謀が発覚すると、ブルータスは直ちに2人の息子の処刑を命じた。ダヴィッドは、2人の息子の亡骸がブルータスの家に運ばれる場面を想像し、大きな絵に描いた。共和国の英雄ブルータスは、左の暗いところに独りで座り、深い考えに耽っている。息子の亡骸が運ばれてくるが、見向きもしない。一方、右側にいる妻は、手を伸ばして泣き叫び、恐怖に震える2人の娘を抱いている。娘のうちの1人は失神している。青い布で顔全体を覆っている女は召使いだ。宮廷画家として生涯、権力者の表情と心だけを推し量ってきたダヴィッドに、召使いの悲しみの感情表現は難しかったのか。画家は召使いの表情を省略してしまった。

 

実際にダヴィッドは非常に政治的な画家だった。ルイ16世の宮廷画家として名声を博したが、革命が起こると主君を断頭台に送った革命政府の画家になった。この絵を含め、革命精神を描いた絵を次々に発表し、革命時代の芸術の最先鋒に立った。その後、ナポレオン・ボナパルトが皇帝に即位すると、再び皇帝の宣伝画家として活躍した。

政治の激動期に世渡りを見せたのに、ダヴィッドは革命、反革命勢力いずれも望む絵を描いたことで、ずっと活動することができた。大義のための個人の犠牲という美徳をダヴィッドよりも上手く宣伝する画家がいなかったためだ。