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露日戦争の犠牲者

Posted February. 16, 2021 07:55,   

Updated February. 16, 2021 07:55

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19世紀末、清日戦争で日本が勝利し、遼東半島の割譲を受けると、ロシアはいわゆる三国干渉を通じてこの措置を撤回してロシアが占拠した。そして、旅順港を要塞化し始める。怒った日本は、ロシアとの一戦を覚悟して軍備増強に突入した。この時から10年間、当時の貨幣で7億円を超える投資を通じて軍備を10倍に増やした。

ロシアもじっとしてはいなかった。第三国は、ロシアと日本の戦争は時間の問題だと見た。問題はロシアの時間だった。地政学的な条件上、ロシアが満州に軍隊を投じることは日本よりもはるかに大変だった。それなら数倍努力しなければならないが、危機は認識したものの、危機の時間は遠ざけた。ロシアは日本の軍事力を極度に過小評価した。「日本の軍事力は欧州の最弱国家より弱い。ドイツ軍をモデルにしているが、達成度は思わしくない」。

ロシアはのんきで、腐敗がその隙に入り込んだ。旅順の要塞化に天文学的な資金を浪費した。ロシア艦隊は優れていたが、コスト削減を理由に十分に訓練していなかった。ロシア軍司令官はこのように話した。「私たちの水兵は世界最高だ。ただし(訓練をせず)砲を撃てない」。

日本は老いたのろまな帝国の弱点に食い込み、露日戦争で勝利した。日本は強大国に跳躍したが、勝利の教訓を活用するうえで過ちを犯した。ロシアが敗戦した教訓には目を向けず、自身の勝利の要因にだけ感動した。これが過度な宣伝政策と結びつき、自己催眠に陥った。例えば無謀な突撃戦は大きな犠牲を出したが、世界で日本軍だけができる戦闘方式と美化した。自己錯覚は半世紀の間成長し、太平洋戦争で悲劇を生む。

敗北した敵を無視し、自身の勝利に陶酔すれば、必ず自身を害する。次の勝利のためには敵を尊敬し、自身に厳しくなければならない。問題はこのようにすれば宣伝扇動にならないということだ。扇動を真理と信じることになれば、周りが見えなくなり、その刃は罪のない人を傷つけ、結果的に自身を傷つけることになる。